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【短編小説】君が残した愛の形

「またいつかねー!」
そういえば、そう言って手を振り合った日から6年が経っていた。

【松野明美 告別式】と書かれた看板の前から足が進まない。ビニールに包まれた彼女の名前に、雨が滴る。まるで明美も泣いているかのようだ。明美は、大学の帰り道にトラックに轢かれて死んだらしい。詳しいことは何も知らない。

実家が近く、小中学校は毎日一緒に通っていた明美とは、高校入学時に離れた。明美は、いつもテストで100点を取って学級委員長を務めるような優等生。対して僕は、0点ばかり取る帰宅部の劣等生。同じ高校に行けるはずもなく、彼女とは中学校卒業を堺に疎遠になった。

久しぶりに旧友のたいちから連絡が来たかと思えば、明美が死んだという話だった。大学生になって、地元を離れていた僕は、ただ驚くことしかできなかった。それでも、彼女から貰った手紙はすぐに見返した。一番仲の良かった幼馴染の死を、ただ受け入れられなかっただけなのかもしれない。全ての手紙が、「ずっと大好きだよ」の一言で終わっているのが彼女らしい。今になれば、その一言の重みが痛いように分かる。僕は彼女に、大好きと心から伝えたことがあっただろうか。きっとあれば覚えているはずだし、覚えていないということは、当時はそれだけのことだったのだろう。

8月の終わりを象徴するかのような蒸し暑い天気雨で、式場の周辺にはいくつもの水たまりが出来ていた。雨が傘に打ち付ける音が、嫌に心地よい。重い足を一歩進めようとしたその時、携帯の通知音が鳴った。

【告別式のあとさ、みんなでタイムカプセル開けることになってるんだけど来れる?】

不意に鳴った通知は、旧友のたいちからだった。雨の嫌な心地良さと喪失感の間で、僕の心が揺れている。

10年前、小学校卒業と同時にタイムカプセルを埋めた。6年1組は、正門横にある桜の木の下に。僕ら6年2組は、みんなでひまわり畑の端っこに。10年経って完全に忘れていたそれを、誰かがこのナンセンスなタイミングで思い出したのだろう。

【いけるよ】

その箱の中では、明美は生きているのだろうか。何を入れたかも覚えていないそれを、なぜか開けなければいけないような気がした。確か、明美が大切な何かを入れたと言っていた。じわじわと記憶が鮮明になる。だからだ。どんどん開けないといけないような気がして、追うようにメッセージを送った。

【何時に行けばいいかな??】

送るとすぐに既読がついた。

【告別式終わったら入り口集合でよろしく。みんな来るよ】

正直、昔のクラスメイトとの再会は気が引けるけど、このチャンスを逃したら、もう昔のクラスメイトに会う機会も無さそうだし行くことにした。きっとタイムカプセルもこのナンセンスなタイミングを逃したら、二度と開かれないだろう。僕は、少し軽くなった足を式場の入り口へと進めた。


「確かここだったよな?」
「そう、だね。ここって書いてある」
「ここかぁ」

学校の裏庭にあるひまわり畑の一角。確かにここに埋めたらしい。まるで宝の地図のように書かれたバッテン印の場所を、みんなで囲んで見守った。

たいちは、昔と変わらない姿でスコップを進める。そういえば、昔もこういった力仕事を、いつもたいちが任されていた。10年経っても変わらない姿に、なんだか優しい気持ちになった。

土がどんどん重なり、山のようになっていくなか突然、金属音が鳴った。みんなの目線が一点に注がれる。たいちが優しく土をどかすと、いかにもタイムカプセルらしい金属の箱が顔を出した。

「誰か一緒に持ち上げてくれ」

かなり重いらしい。

「任せて」

腕を捲りながら立候補したのは、明美と仲の良かった旧友の友愛だ。10年も経って、久しぶりの再会がクラスメイトのお葬式ともあって、みんな気が引けているのだろう。他のみんなはどこか距離を感じるのに、友愛はかなり意欲的だ。たいち曰く、このタイムカプセルの話は、友愛が始めたそうだ。それは確かに意欲的になるか、と納得しながら2人の様子を見守る。

2人の手際の良さあってか、あっという間にタイムカプセルは顔を出した。まさに宝物というか。それでもランドセルくらいの大きさだろうか。なんだか歴史のオーラを感じる。

「さて、開けますか」

サビサビになったそれを、たいちがこじ開ける。ゔゔと唸り声をあげたかと思えば、カランと音を立てて蓋が開いた。

「おーーーーー」

野次馬の歓声が沸く。

中はビニールが何重にも巻かれてるいる。それをたいちが一枚一枚破き、ついに中が見えた。中には、みんなの名前が書かれたジップロックが何袋も入っている。

「すげぇ!!」
「懐かしいなあ」
「これ私のだ」
「俺のはこれだ」

みんなが次々に自分のを取って行き、最後に2つだけが余った。松野明美と書かれた袋と、僕の。みんなそれを見て、言葉を詰まらせた。何かを思い出したかのように辺りはまた雨音が響く。

「とりなよ。2つとも。明美も君に開けて欲しいんじゃない?」

友愛の透き通った声と雨の音が混ざる。

僕はそっとしゃがんで手を伸ばし、2つのジップロックを手に取った。その瞬間、走馬灯のように記憶が蘇る。

「一緒に開けようね!」
「何を入れたかって?内緒だよ!」
「楽しみだね!開けるの!」

あの頃の明美の声が聞こえる。いつの間にか、傘は地面に転がっていた。僕は息を飲んで、明美のジップロックを開けた。中には手紙と、かろうじて花と分かる植物が3本入っていた。

もう溢れ出た涙は、止まることを知らないようだ。僕は勢いに任せて手紙を開けた。そこには、いかにも小学生が書いたような字で【10年後の私へ】と書かれていた。

【10年後の私へ こんにちは!私はそろそろ西北小学校の卒業式です。昨日、中学校もれんくんと毎日一緒に行く約束をしました!22歳になった私とれんくんは結婚していますか。楽しみです。もし結婚していたらこのひまわりをプレゼントしてください。お花屋さんのママが、ひまわり3本の花言葉は、あなたが運命の人だって言ってました!れんくんにも伝えてください。れんくんずっと大好きだよ。2011年の明美より】

読み終わるや否や、徐に一本のひまわりを取り出した。今にも砕けてしまいそうなひまわりを手にとって、空を見上げる。

「俺も大好きだったよ」

雨粒と涙が混じって、頬を伝う。
またいつか何処かで、会えるような気がしていた。その時に2人で、回想するはずだった。「懐かしいね」なんて言いながら。その明日はもう来ない。明日という言葉の魔法をいつのまにか信じてしまっていた。こんなに後悔したのは人生で初めてだろう。たかが、好きという3文字なのに。悔しいを通り越した感情に殺され、全身の気が抜けたようにその場へしゃがみ込んだ。

雨足は強まりも弱まりませずに、ずっと降り続いていた。西からさす光に反射した雨粒が、キラキラしながら地面に散っていく。夏の終わりが始まったような、そんな1日だった。

(終)

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