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【短編小説】エンセラドスの住人

 冬になると、彼女を思い出す。

 大学生活も残り少なくなってきたこの頃、寒い季節が来るたびに、僕はふと高校時代のことを思い返してしまう。あの冬の日、初めて話しかけてきた彼女のこと。

 22歳になった今、日々の忙しさに追われて、過去のことを振り返る余裕なんてあまりない。けれど、冷たい風が頬を刺すと、まるで封をしていた記憶がひとつずつこぼれ落ちるように、僕の中で七海の面影がよみがえってくる。

 七海。彼女は地球に来たばかりの転校生で、僕が初めて仲良くなった"地球人以外の人"だった。彼女は、「エンセラドス人」だ。

 あれは高校二年生の冬の始まりだった。彼女はクラスに突如現れて、当たり前のように「エンセラドス出身だよ」と自己紹介をした。クラスの誰もが驚き、そして信じられないと目を見開いていた。でも彼女は、地球での生活に慣れたような顔で、僕らにまっすぐな視線を向けていたのを覚えている。

 僕は当時から人見知りで、どこか閉じこもりがちな性格だった。そんな僕に、まるで自然に馴染むように近づいてきたのが七海だった。転校生の彼女が、一番最初に話しかけた相手が僕だったのは、今でも不思議に思う。

 高校生だったあの頃、まさか七海が僕の中にこんなにも深く残るなんて、考えもしなかった。彼女が再びエンセラドスへ帰っていくと聞かされたあの日、胸が締め付けられるような思いで見送った。それが僕にとっての、初めての恋だったのだと気づいたのは、ずっと後のことだ。

 今、夜空を見上げて、星々のきらめきに彼女を重ねてしまうのは、あの頃の記憶がまだ僕の中で生き続けているからだと思う。


 「わたし?エンセラドス出身だよ」

 その瞬間、クラスが静寂に包まれた。
 エンセラドスは、土星の周りを回っている氷に覆われた惑星だ。地球で言う月のような、土星の周りを回る惑星から、七海《ななみ》は来たという。

 「去年こっちに引っ越してきたの、両星間民族交換プロジェクトでね」

 放課後のざわついた教室。スクールバックを、ガサガサしながら彼女は言った。教室の中は騒ついているが、明らかにみんなの意識は僕らに注がれている。少し顔を上げれば、チラチラみんなと目が合う。

 「逆にさ!祐介くんはどこ出身なのー?」
 地球人とはまるで区別がつかないテンション感に、息を呑む。

 「お、おれ?三坂町ってとこだよ。学校から二十分くらいチャリ漕いだとこ…」
 「チャリ…?」

 伝わらなかった。

 「あぁ、自転車のことだよ」
 「あー自転車のことチャリって言うんだ!」
 「自転車は分かる?」
 「あ、当たり前だよー」

 七海は、頬を赤くしながらそう言った。それを見て、なんだか一瞬、胸がキュンとした。

 まるで、初めて日本に来た外国人との会話のようだ。いや、外国人といえば外国人だ。七海は、両星間民族交換プロジェクトで地球を訪れた。 

 二年前に始まった両星間民族交換プロジェクトは地球とエンセラドスに住んでいる生物を、お互いの惑星発展のために交換しようというプロジェクトで、詳細は各国首相しか知らされていないという。僕たち国民に知らされたのは、事実だけ。

 2017年4月14日 NASA(アメリカ航空宇宙局)は、探査機カッシーニとハッブル望遠鏡による観測結果を発表した。氷に覆われた土星の衛星【エンセラドス】で初めて水素分子が検出されたというニュースは、世界に震撼を与えたらしい。僕のおじいちゃんが家に行くたびにその話をするから、もう覚えてしまった。おじいちゃんの部屋には、当時限定販売された、エンセラドスの間接照明もある。エンセラドスで人とそっくりな形をした地球外生命体が発見されたのは、それから50年後。2067年の話だ。

 僕が小学生の頃、世界はまた震撼させられた。地球外生命体、つまり宇宙人が見つかって、地球滅亡とか人類滅亡とか世界はそんな言葉で溢れた。NASAの宇宙人発見のニュースは緊急ニュースで中継発表され、全世界が一斉に報じた。SNSのトレンドは、常にエンセラドスと宇宙人発見というワードがランクインしていた。誰しもが生きている間に起きるとは思っていなかったビッグイベントが起きたのだから、混乱するのも無理はなかった。

 エンセラドスは氷に覆われただけの星だと思われていたが、実際は氷の中に地球外生命体が存在していた。生命は氷の中に独自のコロニーを作り暮らしていたという。エンセラドスの住人と通信に成功したのは、地球外生命体の発表がされてから3日後。エンセラドスの住人が地球に来たのは、それから1年後の話だ。宇宙人が居たという疑いを確信する間も無く、彼らはやって来た。

 地球人の技術力は意外と凄くて、1年の間にお互いの言語を翻訳出来るようにしたのだ。だが、もっと凄かったのは、エンセラドス人の方だった。エンセラドス人は、エンセラドスから地球までを移動する手段を確立していた。エンセラドス人は、いわゆるワープをすることが出来たのだ。

 NASAの地球外生命体発見記者会見では、

 ・ワープする手段を確立していること
 ・エンセラドス人の皮膚は、熱さにも寒さにも耐えられる細胞で出来ていること
 ・エンセラドスの氷で覆われたさらに下の層には海が存在すること
 ・海に生息する別の生き物を食べて暮らしていること
 ・独自の言語を発展させていること

 の5点が発表された。

 外見はどこからどう見ても人間だし、七海もそこら辺の地球人とは、なんら変わりは無い。それでもなんだろう、地球人より顔の頬骨が尖っているというか、顔が角張っている気がする。でも明確な違いはほとんど無い。ただ、なんとなく違う気がするだけ。

 「祐介くん、今日さ、駅まで一緒に帰らない?私、釜ヶ崎駅の団地に住んでるから駅とは反対だけど」

 深々と凹んだエクボを披露しながら言った。一瞬で驚きと喜びの渦にかき混ぜられた。僕は目線を上げることが出来ず、下を向いたまま頷いた。

 新学期が始まって七ヶ月。人見知りの僕が、今学期初めて話せたクラスメイトが転校してきたばかりの七海だった。七海もまた、初めて話したのが僕だったらしい。どうしてだろうか、人と話すとすぐに緊張してしまう僕が、七海と話す時だけは、全く緊張しないし、それどころか落ち着く。こんな気持ちになるのは初めてだった。


 七海と初めて話した日から、一ヶ月が経っていた。七海が一緒に帰らない?と僕を誘った日から毎日一緒に帰っている。僕の高校生活に光がさした気がした。それに比例して、七海との距離はどんどん近くなっていた。

 12月24日。
 放課後、僕たちはいつも同じように教室を出て、一緒に駅へと向かった。七海の家は駅から反対の方向なのに、相変わらず「一緒に帰ろう」と誘ってくれる。

 「祐介くん、今日さ、駅の近くに新しいたい焼き屋さんができたんだって!行ってみない?」

 七海が楽しそうに言い、僕は、気がつけば笑ってうなずいていた。僕は普段、自分から積極的に行動するタイプじゃないけれど、七海と一緒にいると、不思議とそんな気持ちもどこかに消えてしまう。七海が「楽しそう!」とキラキラした目で見ていると、僕もなんだかワクワクしてくるから不思議だ。

 たい焼き屋は商店街の一角にあって、店先から甘い香りが漂っていた。僕たちはそれぞれカスタードとチョコレート味を一つずつ買って、冷えた手を温めるようにほおばった。

 「これ、美味しいね!エンセラドスにはこんな甘いものあんまりなかったんだよ」

 「へえ、じゃあエンセラドスの人は甘いの苦手だったりする?」

 「ううん、食べてみたいとは思ってたんだけど……甘いお菓子って文化がなかったんだよね。ほら、わたしたち地球で言う魚?みたいなのしか食べてこなかったから!てか、地球の味、けっこうハマっちゃったかも!」

 頬をほころばせる七海を見て、僕も思わず微笑む。彼女は不思議とどんなことにも興味を持っていて、何でも楽しそうに試してみる。そんな姿を見ていると、僕ももっといろんな場所へ連れて行ってあげたい気持ちになっていた。

 帰り道、街中のイルミネーションが一段と輝きを増して、僕たちの歩く道を照らしていた。七海は、時折足を止めて、きらきらと輝く光をじっと見つめていた。

 「地球の冬って、こんなにきれいなんだね……」

 彼女がつぶやくと、僕はそっと「また来年も、ここで一緒に見られるといいね」と言いかけたが、最後まで声に出すことはできなかった。

 両星間民族交換プロジェクトは、いつまで続くのか明かされていなかった。どうしてだろう、どうしても七海が地球にずっといるわけじゃないような気がしていた。

 それでも、彼女は僕のそばにいる。そんな今の時間が愛おしくて、僕はただ一緒に歩き続けた。

 そうして季節は巡り、高校3年生の冬になっていた。

 あれから約一年経った今も、僕たちは放課後になると同じように一緒に帰っている。七海の家は相変わらず駅とは逆方向だけど、そんなことはもうお互い当たり前のようになっていた。毎日一緒に歩くのが僕たちの日常になっていて、僕にとってはそれが何よりも大切な時間だった。自転車通学は彼女と歩くためにやめた。

 学校も受験モードに突入して、僕も夕方からは塾に行ったり家で勉強をしたりと、去年よりずっと忙しい日々を送っていた。でも、七海との帰り道だけはどんなに忙しくても外せなかったし、七海も僕に合わせるように待っていてくれた。

 七海はいつも、「勉強ばかりで大変だね」と気遣ってくれる。だけど彼女の横顔を見ると、不思議と心が落ち着いて、「よし、頑張ろう」って思える。彼女が、僕の唯一の支えだった。

 受験が迫るたびに焦る気持ちもあるけど、こうして七海と話しながら帰ると、自然と肩の力が抜けてくる。時々、勉強のことを忘れて彼女とくだらない話をして笑うと、ほんの少しでもリフレッシュできる気がした。

 僕たちの毎日が、そうして積み重なっていった。


 クリスマスイブまであと一週間という日の帰り道、七海と僕は並んで駅まで歩いた。彼女は時折、ふわりと笑って僕を見つめる。その度に僕の心臓は高鳴り、言葉が出ない。どんな話をすればいいのか分からず、何度も無言になった。クリスマスに僕は、七海に告白しようと思っていた。

 「祐介くん、最近静かだね。疲れてるの?」

 七海が心配そうに見つめる。

 「いや!全然」

 七海は「そっか!」と少し安心したようだった。

 最近の僕は、いつどのタイミングで告白しようか。そんなことばかり頭に浮かんでいた。悟られまいと必死に言い訳する日々だった。

 しかし、そんな穏やかな時間も長くは続かなかった。

 次の日の放課後、七海は教室で、僕に突然告げた。

 「祐介くん……実はわたし、エンセラドスに帰らなきゃいけなくなっちゃった」

 その一言で、世界が一瞬で色を失ったような気がした。

 「え、どうして?こっちで友達もできたし、まだまだ地球のことを知りたいって言ってたじゃん…」

 「うん……でもね、エンセラドスで緊急の呼びかけがあって、どうしても帰らないといけないの。地球にずっといると、わたしたち長く生きられないらしいの。地球の食べ物がわたし達の体には適さないとかなんとか…で、地球とエンセラドスを行き来するためのワープ装置も、当分は閉鎖されるみたい」

 七海の言葉は淡々としていたけれど、彼女の目は少し潤んでいるようだった。僕は彼女が何かを抑え込んでいることに気づいた。

 「帰ったら、もう会えないの?」

 僕の問いに、七海は小さくうなずいた。そして、ふっと微笑んで言った。

 「でも、いつかまた会えるかもしれない。そう信じていたい!」

 七海はとっくに覚悟を決めているようだった。

 僕はどうしてもその言葉だけでは納得できなかった。彼女に何か伝えなければならない気がして、必死に心の中の言葉を探した。

 「……俺、七海のこと好き」

 声は震えていたけど、まっすぐ目を見て伝えた。

 その言葉が出た瞬間、七海の顔が驚きに染まった。そして、すぐに優しく微笑んでくれた。彼女の目には、小さな涙が浮かんでいる。

 「ありがとう、祐介くん。わたしも……祐介くんのこと、特別だとずっと思ってた」

 彼女は言葉を詰まらせて、それでも最後まで伝えようとした。

 「わたし、地球でのこと、祐介くんとの時間、ずっと忘れない。いつかまた会えたら、その時はきっと、もっとちゃんと……」

 僕は彼女の涙を見つめていることしかできなかった。

 それから数日後、七海は本当にエンセラドスへと帰ってしまった。駅で別れるとき、彼女は深く凹んだエクボを見せて、最後の笑顔を咲かせてくれた。

 彼女が去った後も、僕の心には彼女との思い出が強く残っている。彼女の言葉、表情、そして手の温もり。その全てが、僕にとってかけがえのないものになった。

 エンセラドスと地球の間には、もう二度と通じる道が開かれないかもしれない。けれど、七海が僕にくれた言葉は、いつまでも僕の中で輝き続けるだろう。

 空を見上げるたびに、僕はエンセラドスを思い出す。そして、星空の向こうで七海も同じ空を見上げてくれていると信じて、彼女にまた会える日をずっと夢見る。

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