身も知らずの人に密やかに怒る回。
先日、TwitterでTK工房さんにパキスタンのことを質問されました。
ぱっと答えられるような内容ではなかったので、その時には「後でnote書きます!」なんて返信したが、TK工房さんのnoteに記されたそのアフガニスタン人から聞いたという話が、やはりもやもやしてしまって、なかなか返答できなかった。
こういうとき、ジェンダーを勉強し始めたウン十年前から、全く変わらないストレスを感じて自分でも苦笑いする。TK工房さんも「ジェンダー間での認知の歪みか?」と書いていたけれど、そのアフガニスタン英語講師が話していたという内容は、信じたいようにしか物事を認知しないでも済んでいるパワーを持つ側の論理だろう。 男の視点で「違う」と勝手に言われたら、実際には「違わない」ことを女の方で説明しなければならないのは、もう本当に面倒くさい。女たちが不自由だ、って言ったら、もう不自由で間違いないと認定してくれないかしらね、いい加減に。
さて、質問されたことの本題。女性が一人で(男性家族の同伴なしに)外出することが文化的にタブーとされるパキスタンのKP州。もちろんそのタブーを厳格に押し付けるところと緩いところはあるし、タブーをもろともせずに外に出る女性もゼロではないので、まあ「あかんことではないやろ」と言ってしまえば、それも間違いではない。が、例えばそれを実行して、万が一レイプでもされたりしたら、被害者の側の女性が「家の恥」と家族内で殺害されてしまう (honor killingという)のも同じ地域で残念ながら今でも少なからずあることだ。そんな地域で、一度も外に一人で出たことのない母親や祖母や叔母や、その他半径15mぐらいにわらわらいる親族女性たちから「外に出て大変なことになったらお前を殺さなければならないから、外に出る時には必ずお父さんか兄弟と出かけてくれ」と言われたら、誰も外になんか一人では出やしないでしょう。実際には女性一人での外出も不可能ではない。(靴を履いてえいやっと外に出ればいいだけだ。)でも、外出可能か否かを問う環境でなく、そう染み付けられた慣習が昔も今もあり、その慣習をうち破るだけの疑問を感じて行動にうつす女性が少ないだけ。
そういう間接的な女性たちにinternalized (内包化された)ジェンダー規範がある中で、女が選んでそうしていると言われるのは、本当に嫌な話だ。「女がそれ(外出しない)を望んでいる」とか「女もそうして楽をしている」と短絡的に説明されたりすると、幾つになっても瞬間湯沸かし器のように私の頭も沸点に達してしまう。それはやはり抑圧をしている側に都合が良いだけの論理じゃないかああ!
マララ・ユスフザイさん。彼女のことを欧米の手先だの、事件そのものがフェイクだの、そもそも女児だって学校にいけるだの、神を冒涜したから当然の報いを受けただのと、まあ色々なことを言う人が彼だけでなく、パキスタンにも沢山いた。エビデンスも何もあった話ではなくても、例えばTVで影響力のある誰かがデマを話したことにより、あたかも事実かのように信じる人たちがいる。(その傾向のある人たちは、もちろんパキスタンだけには限らないけれど。)女性にだって彼女を非難する人はたくさんいた。
私も2年強パキスタンで働き、暮らし、何が真実で何がフェイクなのかよくわからない話ばっかりだなあ、パキスタン人って陰謀論が大好きだよねー、それISIっぽい話だな、都合悪くなると全部欧米のせいにするんだよなあ、おいおいその説は何を根拠に言ってるんだ、と思うようなことがたくさんあった。軍と政府が黒と言えば、たいていのことは黒となる国だ。(←ちょっと乱暴だけど、間違ってはいないと頻繁に思わされる事件があれこれあった。)そんな国で、本当に信用できるのはそれこそ家族や小さい社会円の中の友人だけだったりするのだけど、外様の私はパキスタン政府の統計は案外当たらずも遠からずだろうと思っていた。なぜなら、あんなにお喋りやゴシップや批判好きなパキスタン人たちが、おらが町の現状からかけ離れている統計数字にごちゃごちゃ言わないわけがないから。例えば、この県では10歳以上の女性の68%が文盲ですよ、と言われて「そんなわけない!」と統計叩きが起きないのは、何となく肌感覚で認知している状況と近いからだろう。
という長い前置きで、マララさんがタリバンの襲撃を受けた2012年に公開された、彼女の出身地・KP州Swat県の教育統計を引っ張ってみた。
http://aserpakistan.org/document/aser/2012/drc/kp/Swat.pdf
パキスタンで本当に頻繁に見られる、何を分母にしているかわからない%表記などで、何の意味がある統計やねん!となりがちなところではあるけれど、少なくとも、男子の半分ぐらいしか女子が学校に行けていないことは数字として明確になっている。Primary(小1〜5年)に比べて、一気にMiddle school(6〜8年)で女子の就学人口が下がることもパキスタンには一般的な傾向。これが彼女の襲撃されたころのSwatでの現実だ。女子学生は、男子学生と比べて、就学率がとても低い時代と場所だった。そこに疑問を挟む余地はないだろう。
そして、彼女が襲撃を受ける前、その県内で数年間の間に何があったかは、国際機関の事務局長が非難声明を出すぐらいに国際的にも認知された、女児・女子教育の機会剥奪だった。これを読んでも、まだ全部欧米の作った嘘だとか自作自演だとか言うのであれば、それは「信じたくない」から認知しないバイアスそのものなのではないか。
http://www.unesco.org/new/en/culture/themes/dynamic-content-single-view/news/director_general_expresses_deep_concern_about_girls_educa/
まあ、そんなこんなで。
n=1の教育を受けて海外のNGOで働いているアフガニスタン人であろうが、私がチャイを飲みながらぎゃあぎゃあ議論したパキスタン人であろうが、誰であろうが、信じたいことしか信じない人たちはたくさんいて、その人たちの認知バイアスは、自分の信じている優位性を脅かす者に向けて恐ろしいほどの攻撃性を持ってディスることに使われている。 なので、私は私の見てきたパキスタンを信じているし、TK工房さんのアフガニスタン講師の話すことも彼の信じるパキスタンという国なのだろう。 そして、多分、私とそのアフガニスタン人の思うパキスタンという国は、同じ国なのに全く違う国なのだろうな。
一人の話を信じることも大事だけど、一人の話だけである国のことをイメージ作らないことも大事だよね、とどこにでもあるような一言でこのもやもやを締めくくることにします。 ああ、長くなっちゃったのに、うまくまとめられなくて悔しいな。文章力が足りない〜!