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現実と想像の世界~『月と六ペンス』感想文②~

2020年3月17日㈫

読み終わった『月と六ペンス』(サマーセット・モーム)を読み返していると、ある文章が印象的だった。

"The extent of their experience is pleasantly balanced by fertility of their imagination."

「彼らの経験具合は、豊富な想像によってバランスが保たれていた。」

彼らというのはここではタヒチの島に住む人たちのことを指している。この小説は1919年にイギリスで刊行され、著者サマーセット・モームは当時タヒチにも赴いている。島の住人の生活はイギリスやフランスの街とは違ってかなり原始的で、近代的な暮らしに比べれば退屈にも見えたのだと推測される。タヒチに住む人たちは経験の量で言ったら先進国に比べて少なく単調なものだが、彼らの豊かな想像力によってその暮らしは豊なものになっている、というニュアンスだと解釈できる。

これを読んで、たしかに人は現実世界だけではなく想像の世界と双方を生きていることに気づいた。落ち込んだり元気がないとき、無意識のうちに頭の中は心配や不安な想像でいっぱいになっていることは多い。実際に何が起きているかと同じかそれ以上に、気づかないうちに自分自身が作り上げた想像に自分の頭の中の容積を費やしている。現実に対して不安な気持ちが大きすぎると不幸な気分になり、現実が厳しいものであっても希望を捨てずにいれば幸せな気持ちでいることができる。これらはすべて想像力によって可能になる。

日記を書き始めて3か月の今日、気づいたことがある。普通に生活しているだけでは想像をする時間がいかに少ないか、それは生きるのには不十分なほどだと思う。noteに書くとき「あの日には何があったっけ?」と思い出そうとするのだが「やったこと」をただ書いても「思ったこと」「考えたこと」の部分はすっからかんだった。業務をこなしているだけでは想像は停止してしまう。日常生活の中には「自分がどう考えるか」に費やす時間は実はすごく少なく、結果的に無意識で受動的な想像によって支配されてしまう。積極的な想像はまず振り返る時間の余裕が必要だ。さらに、本を読んだり映画を見たり、綺麗な景色を見たり、誰かと話したりすることによって想像力が磨かれるのだと思う。

行きつけの美容院への帰り道、桜が咲きはじめていた。立ち止まって眺めてみる。きっと満開になったらすごくきれいだろう。散り始めて花びらが舞うのも素敵なんだろうな、と想像するとなんだかわくわくしてきた。

思い通りにいかないとき、不満に陥り自分は不幸だと感じる。つまり自分がどう思い描くかによって幸せだと思えるかが決まるということは、想像は人生にはとても大事な役割を果たす。

一日の中で想像の時間をつくることは大切だと、日記を書いて気づくことができた。

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