変節した人間を表舞台から引き摺り降ろさない限り未来はない
九州電力川内原発の20年運転延長の動きが活発化している。九州電力は昨年2022年10月12日に原子力規制委員会に2024年~25年にかけて運転開始から40年を迎える川内原発1、2号機の運転延長を要請した。これは岸田文雄首相が原則40年、最長60年の運転延長の方針を(検討)示して初の申請ということになる。
塩田康一鹿児島県知事は劣化状況に問題がないとした県専門委員会の報告を「一定の安全性」が確保された、として評価をした。
そもそもこの40年というのは福島第一原発事故が起きた翌年の2012年に老朽化した原発の順次廃炉を目的として定められたルールであり、それを「限定的」に20年延長させる事は一度の箍が外れたら全てのルールが形骸化されるに等しい、ということになる。
そして川内原発の現状がこうなってしまった最大の要因は前鹿児島県知事であり、現衆議院の三反園訓氏の変節がスタートであろう。
2016年、テレビ朝日の解説委員だった氏はその年の鹿児島県知事選の出馬を表明、その動きに市民団体「ストップ川内原発❗3・11鹿児島実行委員会」は自身の立候補候補を取り下げ、三反園氏の支援に回った。
選挙期間中三反園氏は「原発のない社会」「鹿児島を自然再生エネルギー県に」と脱原発を訴える選挙戦略を展開、晴れて2016年7月10日に鹿児島県知事として当選した。
しかし知事に就任した後、川内原発の運転停止を九州電力に拒否されると途端にトーンダウンし、同年12月20日に自身を支援した「反原発」「脱原発」派を排除した県独自の「原子力安全・避難計画等防災専門委員会」という第三者組織を設置し、原発をベースロード電源と位置付け、原発推進に変貌を遂げた。
その三反園氏を県民は次の県知事選でNOを突きつけたが、あろうことか2021年の衆院選に鹿児島2区から無所属で出馬すると2区の有権者たちは彼を国政に送り込んでしまった。
私はそれを見て「何て愚かな」「無所属を装った自民別動隊」と危惧した。そして案の定今年2月13日に二階派の自民党会派に入会した。
2011年3月11日、いやそれよりももっと以前の1999年の東海村JCO臨海事故、2002年の東電による福島第一原発トラブル隠し、これらから何も学ばず「取り敢えず」の風習で何も考えず時間だけ過ごしてきたのが3・11、そして今の現況を生み出してしまった、といえるだろう。
そんな過去を精査せず自分の主張を変節させ権力にしがみつこうとしている人間を退場させない限り私たちに未来はないし、それを見る資格はないとさえ思っている。