プロ野球、ヤクルトスワローズ、東北楽天ゴールデンイーグルス等で監督を務められた野村克也氏が亡くなられた。84歳だった。
現在40代半ばのライオンズファンの私にとっての氏といえば野村スコープから森祇晶氏との92、93年の日本シリーズが思い出される。しかし私がそれらと同じかそれ以上に彼の凄さを思い知ったのはやはり95年の日本シリーズだ。
その年がんばろう神戸を合言葉に前身の阪急ブレーブスから11年振りにパ・リーグを制覇したオリックスブルーウェーブに対し円熟期を迎えた野村ヤクルトが迎え撃つ、という図式だった。
その年のオリックスといえば前年シーズン210安打を放ったイチローが変わらぬ好成績を残し、正にイチローのオリックスという状態で誰もがシリーズでの彼の活躍を信じて疑わなかった。だが果たしてそのシリーズで彼からシーズン同様の活躍を見ることはできなかった。
その要因の1つに野村氏が仕掛けた番外戦術があった。シリーズが始まる前、イチローのデータを見て穴らしい穴がどこにも見受けられなかった氏はなら、マスコミを使って内角高めが苦手だという事にしようと各メディアで野村氏本人、時には角投手コーチをスポークスマンに使いイチローは必ず抑えられる、とオリックス、いやイチローに対して番外戦を仕掛けていった。
第1戦に登板したテリー・ブロス投手の長身から投げ下ろされる高めの直球に翻弄され、以後その残像が頭に残りイチロー対策に勝利したヤクルトが日本一を飾った。
この番外戦術を通して改めてプロの戦いはグラウンド上以外でもおこなわれている事を再認識した。
ついほんの最近まで予告先発はなく、例えばその読みあいに偵察メンバーを入れたり試合前から戦いが始まっていた。しかし予告先発がある現在、そういう番外戦は限りなく少なくなってしまった。時代の流れと言えばそれまでかもしれない。
しかし例えばオープナーという概念が導入されて今、それを存分に活かすには予告先発を廃止し、ベンチ同士の心理戦を楽しむのも(時代の逆行と言われるかもしれないが)ありかもしれないと野村氏の訃報をきいて思う次第だった。