菅原経産相辞任について
昨日25日、自民党の菅原一秀衆院議員が経産相の職を辞した。有権者へのメロン🍈やカニ🦀の贈呈等数々の疑惑が報じられても頑なに辞任を拒んでいたが、秘書の選挙区の有権者の葬儀での香典渡しで完全に行き場を失い今回に至った。
その前日までは自身のブログでも25日に国会で説明責任を果たす、と息巻いていたが。
しかし私は彼が経産相になるにあたって様々な事で彼が官邸に自分の命を握られていたのは素人ながら察しがつく。
例えば原発問題。2012年の衆院選では彼は自らを脱原発派と謳った。ところが彼はその自らのキャッチフレーズをあたかも無かったかのように振る舞った。その事を指摘されると、2014年のエネルギー基本計画に書かれている事と同じ考えだ、なる答弁をした。そこには原発への依存度の低減を加速させる、とある。脱原発と原発依存度の低減、明らかに変わっている。私はこの答弁を聞いた時に、大臣の椅子を用意する代わりに自身の心情も全て政府官邸の管理下に置かれる事を余儀なくされたのではないか?
そして私が今回の事で一番許せなかったのは、まだ彼がファイティングポーズを崩していなかった時に周囲に「こんな事で辞めるわけにはいかない」と言った、といわれていることだ。公選法に抵触しているのでは?という疑惑がかけられておきながらその法律をつくる側の人間があたかもそれを軽視する発言をしたのは有権者をバカにしている証拠だ。そしてその起きた事柄をこんな事と軽く考えているのは、何かある度にナンとかの一つ覚えみたいに「任命責任は私にある」と念仏のように唱える安倍首相にも通じる。つまり菅原議員の法律を軽視した発言は菅原議員ではなく、安倍内閣そのものの無意識下にある考え、というのは言うまでもない。
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