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私が見つけたもの、色

四歳のとき、色を見つけた。日本海に面した街から、瀬戸内海の街に引っ越すと、荒れて暗い海が、穏やかな明るい海に変わった。幼児のわたしは色彩の変化に驚いた。丘の上にあった家まで坂道を登っていく。振り返ると、青色の海が輝いていて、日本海の藍色とはまったく違った。子ども向けのクレヨン箱を眺めながら、この世の中には色があふれていることを知った。
 幼稚園には藤の花が、棚から垂れ下がっていた。数多くの房は、わたしに紫色を教えてくれた。青色や藍色よりも、何か秘密を隠しているようで。その後、小学校入学と同時に東京に戻る。日本橋のデパートのバス乗り場で、発車していくバスの後尾灯に見入った。胸騒ぎを感じるような濃い紫色。いまでもひなびた街のスナック看板は、夜になると、バイオレットの光を路地に投げかけている。妖しいよね。
 小学校の先生は、よく絵を描かせた。不思議なのは、「背景は何色がいいですか」と相談に行くと、「そりゃあ、紫色だよ」と答えたこと。どんな場合でも、「むらさき」と答えるので、口には出さなかったが一年坊主のわたしは「ヘンなの」と思った。小学校高学年のころ、上野の美術館でフランス美術展が開かれた。そこで出会ったのが、ラウル・デュフィ。何枚も絵葉書を買うほど気に入った。神戸で驚いた青と紫の色がデュフィの南フランスを描いた絵にあふれていた。
 でも、なぜか、わたしの洋服は青色でなく緑色が多かった。帽子からシャツ・半ズボン・靴までグリーンづくし。ランドセルも、入学時にわざわざ緑色のものを探して背負っていた。男は黒、女は赤という決まり事を破りたいといった大人びた理由ではない(少しだけあったか)。ただ、緑色が好きだったのである。ある日、小学校の校庭で上級生たちに取り囲まれた。「やーい、みどりデブ、みどりデブ」とはやされた。そう、わたしは太っていた。それがいやで、中学校に入ったころ、真向法やヨガを始めたのだった。中学校では、絵の上手な人が、「青が好き」というので、わたしも簡単に「うん、やっぱり青なのか」と洋服の緑好きは返上した。
 しかし、いまでも、電車で緑色を見つけると気づく。前の座席の女性が、緑色のバッグをひざにのせている。よく見ると着ているものが、小物に至るまでグリーンである。ソックスも緑に違いないと、わたしの前に立っている人のすきまから覗くと、緑の小さい柄を発見する。緑は偏執させる何かがあるのだ。朝の連続ドラマは見ないのだが、二年程前、キムラ緑子が出ているときは、名前の緑が気になった。そういえば、作品名は「半分、青い。」だった。
 大学に入ったころ、六本木だったか、地下鉄のホームを歩いていたときだった。自分がデュフィやマチスなど南フランスを描いた色にひかれるのは、神戸で過ごした幼稚園時代のためではないかと思い当たった。暇でもあったので、神戸に確かめに行った。幼稚園の先生にもお会いした。藤の花が咲いている季節ではなかったから、園庭の紫色には出会えなかった。だが、瀬戸内海のブルーを久しぶりに見た。といっても、霞が出ていたので、白っぽい海の色だったが。
 夏の日、幼児の足で、坂道を上がっていく。振り返ると、青い海があった。家の二階に上ると、遠くに海が見えて、白い客船が動くともなく浮いていた。その部屋はあまり使われず、ほこりの匂いがした。神戸を再訪して、瀬戸内海に面した港町の記憶が純化されて、デュフィのブルーに反応するのだろうと納得した。幼稚園の先生に「わたしは無口な子でしたか」と質問すると「いいえ、とんでもありませんよ。とてもよくおしゃべりになるお子さんで…」と語尾を濁していた。ひとり静かに世界の色彩を味わっていた内向的な幼児というのは、都合のいい幻想だったようだ。
 レオ・レオーニの絵本『あおくんときいろちゃん』では、あおくんときいろちゃんが遊んでいるうちに色が混ざってみどりになってしまう。幼い子どもにとって、色はそれ自体で生きている。ある夏の日、海と空、松葉ボタン、ひまわりに青・赤・黄の三色を見つけたのは、わたしだった。
 大人になっても、色に身も心も持って行かれるときはある。プラド美術館でフラ・アンジェリコの「受胎告知」を見たときだ。マリアの着ている服と部屋の天井に青が使われていた。宝石に近い貴重なラピスラズリから作られたウルトラマリンのブルー。バルセロナのピカソ美術館では、青の時代の作品を前に長いことたたずんでいた。
 ビルの上階のカフェで、空を見上げる。そこにも、青がある。アニメーション映画は、色が半分主役なのではないかと思った。空の青色だけをとりあげても、記憶に残るアニメは、いくつも上げられる。青色は吸い込まれていく感覚。赤色はこちらに迫ってくる。緑色は橫に広がる。黄色は色がここにいるよとつぶやく。青色だけが、深い奥行きを持つ。その静穏さを四歳児のわたしが、どこまで感じたかは知らないが。


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