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26 動くと見えるものを考える

 考えが煮つまったとき、そのまま停滞していては突破口はなかなか開けません。まず、「動いて」みる。「動く」といっても文字通り「動き回れ」というのではではありません。目下の考えごとから、いったん注意をそらして、自分の周囲の様子に目を耳をこらしてみる――それが「動く」です。
 「動く」ことの必要性については、次のような理由があります。
「こちらが『動こうとする』ことによってはじめて、外界そのものが『見えて』くる」(佐伯胖・佐々木正人編 『アクティブ・マインド 人は動きの中で考える』東京大学出版会 1990年)。
 なかなか、魅力的なフレーズですね。
「ギブソンはそのような『生体の活動を誘発し方向付ける性質』を、『アフォーダンス(affordance)』と名付けた。つまり、知覚とは、生体がその活動の流れのなかで外界から自らのアフォーダンスを直接引き出すこと、というわけである」(同書)。
 アフォーダンスとは、引用にもある通り、心理学者のギブソンが提唱した考え方。「……ができる」「……を可能にする」といった意味の動詞アフォード(afford)を名詞化した造語。外界の側にこそ、人々が生きるための情報がつまっており、それが私たちを「アフォード」し、支えてくれるという考え方です。いや、「外界の側に」と言い切ってしまうと正確ではないかも。キブソンの興味深いところは主体や外界を二分してしまうのでなく、その相互作用の中に新しい状況が立ち現れてくることを示しているからでしょう。
 生き物がひとりぼっちで存在しているのではなく、周囲のアフォーダンスを見いだしながら、環境と瞬間ごとに「対話」しながら生きている。この立場からすれば、考えることは周囲の状況と切り離すことができません。
「……現実の社会の第一線で活躍している人などをながめてみると……『考えた上で』行動しているわけではなく、また行動したあとでこと細かに『反省』しているわけでもない。まさに、『動いている』なかで『考えて』おり、『考える』ことがそのまま同時に『動くこと』になっているのではないだろうか」(同書)
 動かないで、じっとしていると、自分がおかれている状況も見えてきません。動けば、支えてくれているものが分かります。人と人の場合であれば、動けば、向こうも動く。良い方へ悪い方へ、どちらに転ぶか分かりませんが動けば、状況は変わる…。
 ギブソンは、モノの見え方を研究している人でした。じっとすわって、モノを見るのではなく、私たちは少しずつこちらが動きながら、対象を見ています。そのことで初めて見えてくるものがたくさんあるというのです。
 動きながら、考えているということは、心とからだの双方が関わって、思考が行われていることを示します。古武道の専門家の本が増えましたが、いまは消えてしまった身体の動きを復活させていくと、新しいモノの考え方が生まれるからでしょう。
 営業ですぐれた成績を上げている人、優秀な経営者、賢い政治家は、「布石の打ち方」がうまいと思います。序盤戦、まだ勝負するときではないときから、あちこちに「仕掛け」ておく。それによって、相手も動いていく。向こうの動き方によって、こちらも変化する。つねに流動しているのです。そうした技を見ると、「やるな」と思います。ひとりで考えることが許されるクリエイターや学者などにはない「動態思考」といった迫力を感じるのです。考えることは、積み木のような固体を積み上げるのではなく、動きながら変身していく流動体なのかも知れません。


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