2/24 ぶっかけうどんの可哀想な鰹節の話
鰹節って野菜かのように存在してるの凄くないですか??
魚が嫌いです。嫌いというか食べられません。
タコを食して意識を飛ばした北海道旅行の思い出から本格的に食べられなくなりました。
(いや、本当は母親に焼きサバを強制的に食わされたあの2人だけのダイニングからなんだろうけど)
鰹節、小さな桜エビ、出汁、よく割いた裂きイカ、大判みりんえびせんべい(セブンのが美味しい!)、などなどはギリ許容範囲で食えます。体調悪いとしんどいけど。
よって、鰹節の香るぶっかけうどんは食べられます。
ねぎ、海苔、ごぼう天、大根おろし、しょうが、大葉、といっしょに入った鰹節。
カテゴリー的には異物なのに見た目ではしっかり馴染んでます。
なんかの葉っぱを乾燥させたやつと言われても、私が鰹節の概念がない国の人だったら納得します。
というか最初に鰹節を考えた人間、すなわち鰹の身をガチガチのゴチに乾燥させてカンナで摺ろうとした人間やばすぎません?こんにゃくの開発者並みに先見の明。
さて、そのごぼう天ぶっかけ(福岡で食べました福岡に行きました)(700円くらい)はうどんが特徴的で今までのうどんの概念がひっくり返っちゃうんですが、その話は置いておきます。
マジでここのうどんは美味しいけど、話したいのはここのうどんではなく大地に満ちた全ぶっかけうどんの全てについてです。
ぶっかけうどんをつるりと食します。
見た目は野菜、ネギは野菜、ついで口に入れた鰹節、磯の香り。
はい、異物。
体調が若干優れない私はその香りにゾワァァっとしました。
受け付けないものだからです。
見た目がどれだけ同じでも食しちゃえばバレる。
鰹節って可哀想ですね。
勝手に食してるのは私なのに、勝手に評価されて可哀想ですね。
可哀想な私の感性。可哀想可哀想。
世に満ちる可哀想を憎んでいこうと思います。
最も悪い感情は「可哀想」だとすら思います。
これほど上から目線な感情はあるでしょうか?
対象に対してひとつ優位な何かをみつけたときに湧き出るものです。
この世には、可哀想な自分自身が好きな突飛なやつらがいます。
不幸に酔いしれてるやつらです。
大抵不幸は努力によって不幸を呼び込むので、自業自得でやつらは不幸です。
やつらは先天的な不幸にたいして怯えます。
かないっこないからです。
自業自得なやつらはどこかで自業自得を自覚しています。
健常者はどこかで自分が本来は健常であるとしっています。
やつらは、先天的な不幸に対して、自分の怠惰を突かれるかのような錯覚をして怯えます。
人類みな幸せになる努力をした方がいいと思います!!!!
くっそ幸せになりたいけど私の思い描く幸せは、幸せじゃないのか実現不可能なのかどっちかみたいです!!!!
幸せになりたくないなら不幸をつつがなく受け入れてください!!!!俺!!!
ちなみにこのお店は高田馬場にも店舗があるのですが、福岡で食べることに意味があると思い込んで食べました。
福岡で食事をした2回のうち1回がこの店、このうどん。高田馬場と変わらず美味しかったです。