ある日突然、縁が切れた話③
私にとって2021年はたくさんのご縁があった年だったが、2022年はその反動か縁が切れた1年だった。
自分の記憶を留めておくためこれまで2本の文章を残してきた。
今日はこのシリーズの締めくくりとして、私にとって最も影響の大きかった話をしたい。
15年前の出会い
話は今から15年前に遡る。
当時、大学生だった私は一人、とある小さな町に降り立った。
大学の実習で自分で好きな地域を選び、2週間実習をしてくるというもので私は一人その町に行くことを選んだ。
その町は人口4000人足らずの小さな町だったが、個性的で素敵な生き方をしている人たちが多く暮らす街。
その中でもとあるカフェを営むファミリーと親しくなった。
そのファミリーは牧場を営みながらそこでとれた新鮮な牛乳を使い、パンやケーキ、パスタなどを提供する小さなカフェを営んでいた。
お母さんとお嬢さんが店を切り盛りし、お父さんがサポートする素敵なファミリー。
昔はお父さんもお母さんも家族で酪農を営んでいたが、代替りして今は息子一家が引き継いでいる。
15年前の学生の頃、私はよくそのカフェに顔を出してはダラダラとおしゃべりをして楽しんだものだ。
そこから毎年毎年その町に行くので、そのファミリーも私のことを覚えてくれて「あなたは大阪の息子だよ」と本当に家族のように接してくれた。
誕生日には花も贈ったし、その町に着いたら何よりも真っ先にそのお店に向かう。
私にとっては「2人目の母親」のようなかけがえのない存在になっていた。
誤解のはじまり
前回の記事をご覧の方は「また?」と思われるかもしれないが、私はこの北海道の小さな町でもワーケーションをした。
それがこれまでの15年間の関係を壊すことになるとは、この時は全く予想していなかったのだ・・・。
その自治体もワーケーションの誘致を頑張っていて、町に対して何らかの貢献をすれば宿泊費が無料になるという制度がある。
私は会社の承認を得ていたので、正直その制度を利用しなくても良かったのだが、役場の方が勧めてくれて利用させて頂くこととなった。
1ヶ月無料で滞在するかわりに、町内でワーケーションをしてみての改善点をレポートとしてまとめるというものだ。
こんなにも長くこの町に滞在するのは学生ぶりで、真っ先に母に連絡すると母は電話口でとても喜んでくれて、何もかもが順調だった。
ワーケーションが始まると、これまでのように母が営むカフェに立ち寄ったのだが、訪れる度に違和感を覚えるようになってきたのだ・・・
これまではお客さんがいなければキッチンまで入れてくれて、そこでたわいもない話をしていたのだが、コロナを理由に「キッチンには入らないで欲しい」と言う。
最初は何となくコロナのせいかと思っていたのだが、なんだか様子がおかしい。
カフェに行く度によそよそしいと言うか、そっけないのだ。
それにはさすがに私も気づいた。
「なにかおかしい。」
3時間の議論の末
人口の少ないこの町は21時にもなると誰も歩いていない。
夜になるとまるでゴーストタウンかのようなこの町を、私は夜な夜なウォーキングに出ていた。
ふと母のカフェの前の通った時だ。
時刻は22時を過ぎていただろうか。朝からパンの仕込みがある母は早々に帰宅して寝ている頃だ。ただ、ふとお店を見ると明かりがついていたので、意を決してお店を覗き込んだ。
すると母は一人アスパラの皮を剥いていた。
「カランコロン~」
ドアについているベルの乾いた音がたった一人のカフェの中に響き渡る。
母はお店の入り口に一人立つ私の存在を認知しつつも、アスパラの皮を剥く手は止めなかった。
「お前と話すことはない」とでも言いたいような冷たい返答。
私は一瞬ひるんだが、ここで帰っては何も解決しない。
そう思い、最近感じていることを全て母に投げかけた。
すると母はアスパラの皮を剥く手を止め、話し始めた。
「お前は何のためにこの町に来たんだ?」
こう言われたことは鮮明に覚えている。
そこからというもの、母からの鋭い問に私なりに精一杯答えた。
簡単に双方の言い分をまとめると
<母>
・町長は私利私欲の人間だ
・役場と一緒に仕事をするということは町長に加担するということだ
・なんでお前は役場と仕事してるんだ
<自分>
・町長に加担するという意図はない
・組織と組織の話であり、個人の意図は挟めない
・それに役場職員が町長の操り人形でない
・町長と役場職員を同類項にまとめてはいけない
3時間くらい経っただろうか。
時計の短針は1を指していた。
母の想い、問いに対して自分は誠心誠意答えた。
だが、母が受け入れてくれることはなかった。
この時のことを言葉で書き表すと、まさに「平行線」という言葉が最も当てはまるだろう。
分かり合えないことの難しさ、そして何よりも悲しさを胸に、私は漆黒の暗闇に包まれた町を一人トボトボと歩いて帰った。
分断に巻き込まれる
母と同じように15年前から付き合いのある町民に今回のことを相談すると、この町で起きている分断に巻き込まれてしまったことが分かった。
この小さな町は4年前の町長選挙で僅差で現職が再選。
たった4000人の町で、町が二分したのだ。
母は現職の町長に強い不満を持っており、町長の名前を聞くとすぐさま笑顔が消える。
正直なところ、15年も町と関りがあればその情報は何となく知っていたが、ここまで分断が起きていたとは知らなかった。
役場のトップは町長ということで、役場=町長という構図が出来上がるのも分からなくはない。
だが、今回のワーケーションで初めて役場の方々と知り合い関りを持ったが、皆さん色んな考えがあり必ずしも親町長派という訳でないことも分かった。
だが、いくらそれを母に説明しても、彼女の中での「役場=町長=悪」という方程式は崩れることはなかった。
「時間が解決してくれるよ」
その言葉を信じて、ただただ待つしかなかった。
時間は解決してくれなかった
その後、ワーケーションがきっかけでその自治体と仕事をすることとなり、ワーケーション後も何度もその町を訪れることになった。
ただ、真っ先に立ち寄っていた母のカフェには近寄らず、顔を合わせることもなかった・・・
正直なところ、母のカフェの前を通るのが辛かったのだ。
カフェの看板が目に入る度に、心が騒ぐ。
何だかんだで母との話し合いから2年が経った。
母の怒りの原点であった町長は選挙に出馬することなく、新たな町長が誕生した。
いよいよ時間が解決してくれたか。
そんな淡い期待を持っていた。
いや淡くはない。本当に期待していたのだ。
そして、とある休日の朝、急に母からの着信履歴があった。
「町長も交代したし、母から歩み寄ってくれたのかな・・・」
9割がたそう思っていた。
ただ、1割の怖さもあって折返し電話せず、一旦様子を見ることにしたのだ。
1割の怖さは当たるものだった。
9割の期待は予想外の所で裏切られることになった。
先日、役場職員の方との打ち合わせをしていた時。全てのアジェンダが終わり立ち上がろうとしたその時、言いにくそうに「ちょっと良いですかね・・・」と呼び止められた。
なんだろう・・・・でも良いことではないだろうな。
直感というものだ。
4000人足らずの小さな町だ。
私がこの町に来ていることも耳に入っていることは何ら驚かなかった。
最後のひとフレーズを聞いたとき、9割の希望は一瞬にして失われた。
ああ、やっぱりだめなんだ。
時間は解決しれくれなかったんだ。
別の論点になっていた。
母は昔から「地域の人たちの力で街づくりをしたい」という想いが強いようで、町外の人が街づくりに携わることに不満を持っていたというのだ。
母の考えはとても大切だと思う。何でもかんでも外部のコンサルに任せて何千万も支払う事例などざらにある。地域に住む人達が地域のことを考え、立ち上がることはとても大切だと思う。
ただ、人口4000人の町だ。
全てを町内で賄うのは難しく、必要に応じて外部の力を頼ることも大切ではないか?
ただ、2年前の3時間の議論を思い出すと、きっと分かり合えないと思った。
役場の人は私の気持ちを代弁してくれるように話を締めくくった。
もう自分ではどうしようもない別れ。
時間を元に戻すことが出来るのであれば、今すぐ戻してやり直したい。
でも、もうそれは無理なことだ。
いつか分かり合える日が来るのだろうか。
私はそのカフェの看板を見る度に、これからも同じ気持ちになるだろう。
<2023/8/12追記>
この記事を2023年5月に書いてから進展があり、結論から申し上げると私はこの町に二度と行くことが出来なくなりました。
改めて、15年前の出会いから破局までを記事にまとめました。
有料記事となり恐縮ですが、合計1万字ほどとこの記事に書きれなかった内容も多くございますので、宜しければ下記よりご覧頂けましたら幸いです。
https://note.com/sekiyu1122/n/n569158794c1b