ゲームセンターのお話
初めてのnote記事が音楽関係ない作曲家のSekiyaです。
自分は学生時代京都に住んでいました。
バンドやったり、当時は漫画家を目指していたので漫画描いたり、アニメやゲームにハマっていました。
京都のゲームセンターはあちこち行きました。特に河原町周辺は朝から晩までハシゴしていた時期があったくらいよく遊んでました。昨今、ゲームセンターは次々閉店していて、僕の通っていたゲームセンターはもう一軒しか残ってない状態です。その最後の一軒が無くなるというポストをXで見つけました。京都のゲーセンと言えば!くらい全行的に有名なゲームセンター「ネオAMスペースa-cho」です。
現在、閉店を惜しむ声と一緒に様々な企画が持ち込まれているらしいです(有志によるクラウドファンディング企画があるとかないとか)。
自分は惜しい気持ちはあるけれど、時代の流れで仕方ないのかもと自分は受け入れている方です。
色々な思い出があるので書きたいなと思ったので今回初投稿ですが、ゲーセンの話です。
当時自分は「バーチャファイター4」という格闘ゲームに没頭していました。今でこそ大体のゲームはカードにデータを保存出来るのですが、当時はカードにゲームの勝敗や段位を記憶させるシステムは導入されたばかりで、爆発的に人気でした。自分も沼にハマっていて、ちょっちゅうゲーセンにいました。ホームは別の近場のゲーセンでしたが、平日の昼とかは人がいないのでa-choに入り浸っていたわけです。「あそこなら昼でもヤンキー風なお兄さんとかがいる!」的な感じです(笑)朝から晩までいると、ゲーセンは面白い場所でした。行かない人やゲームをしない人だと普通に考えたら時間の無駄とか思うかもしれないけど、自分は人生振り返ってもあの場所で経験したことはとてもいい思い出になっています。意外と学校行事より忘れない思い出。そんな思い出話をちょっといくつか↓
おっちゃん
まずこの人。a-choは2階にあって、1階はパチンコ店になっています。ゲーセンの名前を知らなくても、寺町通の1階が大きなパチンコ店のエスカレーター上がった2階と3階と言えば大体わかるくらい大きなパチンコ店です。
昼間に遊んでいると、下からパチプロ(死語)な禿げ上がった40過ぎくらいのおっちゃんがよく上がってきて一緒に遊んでくれました。名前は聞いたことない。唯一雑談もする相手だったかも。
僕の方が強かったです!
ある日おっちゃんが「今度俺結婚するんだ!!」てめっちゃ嬉しそうに報告してくれたんです。ごめんだけどまぁまぁ問題ある人生送ってそうだったし別に見た目が良いわけでもなかったので(失礼)驚いたけど、同時にすごく嬉しかったし超喜んだ覚えがある。
「今パチンコで結婚資金160万まで貯めたんだ!」とキラキラしながら報告してきた様は何というか「…。」だったけど輝いてて最高に面白かった!全く発想なかったので「こんな人が世の中いるんだ」と感心した。
とはいえ、今でもそうだけど一切パチンコには興味が自分はない。
優しいお兄さん2人組
多分アラサーくらいだろうか?休日の昼とか夕方とかに来る2人のお兄さん達。基本的にはa-choというより近くの別の自分のホームにしていたゲーセンのお客さんだったけど。黙々と対戦してたら「すごい強いね!」と言ってある日僕が対戦している手元にジョージアのエメラルドマウンテンの缶コーヒーをくれた。それまでコーヒーはカフェオレしか飲んだことが無くて、「うわ、ちゃんとしたコーヒーだ、、!大人だなぁ、、、」と困りながらもせっかくくれた物だし飲まなきゃ悪い気持ちだったのでその日初めてコーヒーを飲んだ。エメマンが美味いかどうかよりお兄さんの好意が嬉しくて、最高の思い出の缶コーヒーになった。缶コーヒーで僕はエメマンが1番好きなんだけど、その理由はここにあったりする。その後もたまにお兄さん達は缶コーヒー差し入れてくれたんだけど、毎回何の拘りかエメマン(笑)嬉しいけど「何で毎回これなんだろう??」と思いながらいただいていた。今色々呑んで思うと、子供にぴったりの甘さだねエメマン。1番好きだけどたまに微糖にするくらいには大人なったですよ。ゲーセンで見かけた他人にジュース差し入れるとか、自分は出来ない。器がデカいお兄さん達だった。
僕の方が強かったです!
すんごい強いお兄さん達
a-choは全国レベルの強豪が集まるゲーセンで、全国大会の開催店舗でもあった。当然、レベルの違う層がいたりする。皆ヤンキーなルックスで、あの空気は多分怖いものがあるだろう、、。京都には乱闘しょっちゅう起こるゲーセンとかもあったが、ここに来る人達は皆マナーがなっていて、弱い者いじめをしない。乱闘もしない。といった感じだった。よく見かけた光景だと、段違いに強い人はゲーセンの台が中級者とかで埋まっているときは順番待ちもしないで、戦わずにずっと遠目に見ているだけで時間が過ぎているくらい。絶対勝ちが見える相手には挑まない人達だった。何人か強豪が集まると、中級者に台譲って後ろで仲良くしゃべっていた。見た目は喧嘩っ早そうなのに紳士すぎた。そういうマナーというかもはや暗黙のルールの中、自分が遊んでいて反対側の台に強い人が入って対戦挑んできたときは、「相手として認められた!」と内心嬉しかった。
全然勝てなかったけど!
いつも公園で子供が遊ぶのを井戸端会議しながら見守る親みたいな人達だったけど、全国大会の予選とかで見に行くと目つきの真剣さが違ってメチャクチャかっこよかったんだよね。
いつもいる会社員
スーツで背の低いお兄さんが平日昼とかでもよくいた。一回も話したことはない。
僕の方が強かった!
すごく負けず嫌いで、僕がいると挑んでくるし、10連勝してもめげないからずっと倒し続けると、怒って台をこっちに押して帰る人。別に性格が悪いわけではないのは見た目でわかる。
この人はa-choがホームだったな。謎だったのは、僕が友達と滋賀県のゲーセン行ってもその人いるし、なんなら秋葉原に行ったときも秋葉原のゲーセンでその人がいて「何で同じタイミングに同じゲーセンにしかもこんだけ行く先々にいるんだ!?」となった。東西あちこちで倒してごめんね。普段会わない人と対戦する楽しみがあって遠征してたのに割と台無しだったw
夜のリーマン
夜になると仕事終わりの会社員が遊びに来る。これも新鮮だった。冬何かはスーツにトレンチコートの人が皮のカバンを足元に置いて戦っているの。ゲーセンの格闘ゲームとかヤンキーの娯楽みたいなところあったのにこんな真面目な普通の人もやるんだ~となっていた。
この人は互角だった!
勿論笑顔の素敵なおに、、おっちゃんで(多分20代後半)、この人とはよく対戦しながらどうやったら勝てるかとか話した。僕の友人もこのリーマンを気に入っていて、よく夜になると「今日あの人来るかなぁ!」て待っていたくらいだ。
バーチャが下火になって数年後、神戸に引っ越した自分は「鉄拳」をゲーセンで遊び始めたのだが、その神戸のゲーセンで一番強い人が女性だった。思えばバーチャで女性の上手い人を見たことが結局なかった。今YOUTUBEで当時のどこぞの大会を見ると女性の参加者いるんだけどなぁ、、?
鉄拳は女性プロもいて、これは格ゲー界で鉄拳だけじゃないかというくらい珍しいことらしい。女性で強い人は本当にかっこよくて憧れだったなぁ。女王よ!女王!もはや。
a-choに限らず、河原町はすごく当時から変わってて、何年か前に行った時も行きつけだったお店がアクセサリーショップとゲーセンしかなかったくらい、、あとアニメイトか(笑)。寂しい感じはする。この↑人達も今どうしているんだろうか?元気にしてるかなぁ。よく「ゲーセンでの出会いって何か思い出に残るよね」というプロゲーマーを見るけど、本当にそうだ。同じゲームをしている以外何も共通点が無い人たちが差別なく友達になれるって素敵。自分はよく出かけた空き時間にゲーセン今でも行く方だ。アミューズメント施設が好きで、無くなってほしくないからというのもある。
今はネット対戦が主流だし、家庭用ゲーム機の普及でそもそも人がいない。当時みたいみんなでワイワイなんてもうこの先の時代にはないのだろうな。
最近は流行もあって「ストリートファイター6」をプレイしている。バーチャの新作を待っている間、全然出ないから鉄拳やって、鉄拳の新作がお高かったのでセールしていたスト6に手を付けた。それなりにエンジョイしている。が、2025年1月末にバーチャがパソコン版出るという事で、テスト版が楽しかったので楽しみだ。バーチャは新作も開発しているという事で、正直あまりに硬派なので新規参入や、ましてや大ヒットなんかどう考えてもしないと思うけど、思い出しながら遊ぼうと思います。自分の唯一の娯楽なので。