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「こっそり」教えてくれるリスナー

5月に始めたラジオもついに#8まで公開した。もうすぐ10本。毎週必死なので結構あっという間だったように思う。いろんな方に楽しんでもらえているようで本当にありがたい。

街中や活動の中で少しづつ人に会えるようになってきた。すると「泥だら、聞いてますよ…」とこそっと2人きりのときに教えてくれる。なぜか大人数いるときには言ってくれないんだけど笑。このこそっと感はなんだかラジオっぽいなって思うんです。

例えば、「昨日〇〇見た?めっちゃよかったよねー!」とテレビ番組や映画を見た場合は共有したい気持ちからか、こういった会話が起こる気がするのだが、「〇〇聞いた?」とラジオ番組の話題が出るのは稀なのでは無いだろうか?(先入観だったらすいません)

別に共有したくないわけでもないが共有するようなことでもないみたいな微妙なニュアンスがここにはあるように感じる。でも僕はここにラジオの良さを感じる。

世の中はSNSの普及により「共感の時代」になった。個性なんてものは言葉が飛び交っているだけで、実際実現しているかどうかは怪しい。あれを知らない、これに興味がないなんてことになると、社会の流れにについていけなくなってしまう。いいね、RTされ話題になったものがテレビのニュースで流れて、みんなが同じような情報に触れ、それに共感・共有しているというよくわからない先入観に囚われてしまっている。まちづくりの現場で肌で感じる。それはどの世代にもそういう方が大勢いる。

そんな世の中でもラジオは「こっそり」その独自の世界観を保ち存在する(このこっそりはSNS普及前から続くものだと思うが)。別にラジオ自体がこっそりしているわけでは全然なくって、電波に乗せれば多くの方が聞くことができるし、今はネットでいつでもどこでも世界中のラジオ放送を聞くことができる。

それでもやっぱりこっそりと「あの番組を聴いている自分」は胸の中にひめておきたい、そんなものを一つ持っていられることの豊かさと、その誰かのひっそりの一つになりたいな、なんてことを10本目を前に思ったりして、勝手にセンチに入る梅雨の夜なわけです。

…ラジオで喋っている内容とnoteで書いている内容にかなりギャップが出てきてしまって、なんだか最初に思っていたような感じではないのですが、このnoteもだれかの「こっそり」になればと思うわけですね。

ラジオもnoteも両方知ってるこっそりな誰かさんはいるのかしら。

セキヤ


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