「城と地酒を巡る、時代を超えた冒険」関友美の日本酒連載コラム
城が好きで、毎年開催される「お城EXPO」には可能な限り参加しています。「日本100名城」「続日本100名城」のスタンプや「御城印(御朱印の城ver.がある!)」を集めながら、次に訪れる城を考えながら酒を楽しむのが好きです。
といっても、いわゆる歴女ではなく、実は地理も歴史もあまり得意ではありません。北海道出身で、本州以南の地理には疎いのですが、今では酒蔵取材で全国を巡り、少しずつ知識が増えてマシになりました(あまり声を大にしては言えませんが…)。争いごとも苦手なので、歴史マニアの人たちが熱狂する戦国時代の武将や幕末の剣士たちなどにメロメロになることもありません。
では、なぜ全国の城を巡り、学び、ワクワクするのでしょうか。それは、城や城跡の造形美に加えて、時代に翻弄された酒蔵を含む庶民の心理や生活を想像するのが好きだからかもしれません。
酒造業の多くは歴史を記した家系図や系譜を家や寺に預けていましたが、火災で多くが焼失しています。創業から現在まで、歴史の証拠が残っているのは珍しいですが、土地の歴史を知ることで、人々の気質や蔵元の状況を推測できる気はします。
たとえば、以前働いていた兵庫県の山陽盃酒造(播州一献醸造元)の蔵元・壺阪家の祖先は、別所長治が築いた播州第一の堅城・三木城に仕える武士でしたが、豊臣秀吉の三大城攻めの1つ、三木城の戦い(播州征伐の一部)で厳しい兵糧攻めに遭い敗れた後、逃れて、家族は商売を始めて(長男は金貸し、次男は酒造業というケースが多かったよう)栄えました。187年前、藩からの借金返済代わりに土地と酒造免許を与えられました。
そこはかつて黒田官兵衛が統治した山城の麓にあり、その後平城が築かれた城下町でした。高瀬舟の起点船着場があり、たたら製鉄の東限で、鉱山が近くにありました。宿場町ではないものの、多くの人が往来し、賑やかな場所だったことが推測されます。酒がどんな風に求められてきたのか、情報から想像できます。
机上の学問では実感がなかったものの、「日本酒」を深く知りたい、と思った日から、城をきっかけにして、地理を深く理解し、酒造業が置かれていた状況を推測し、当時の蔵元や人々の姿を想像できるようになりました。ブラタモリが好きになったのも、日本酒業界に身を置いてからです。
城を訪れ、町を見下ろすたびに、過去の人々の生活が現代にどのように息づいているかを感じることができます。歴史を学ぶことで、未来の道も照らされます。これはまさに時間を超えた冒険です。城巡りをしながら、各地で飲む地酒はより格別なのです。
今月の酒蔵
大関株式会社(兵庫県)
1711(正徳元)年創業。六甲山系の地下水「宮水」や、日本一の品質を誇る山田錦を契約栽培し使用している。「ワンカップ」「辛丹波」などの日本酒を主力として、発酵技術を応用した加工食品や化粧品も手がける総合食品企業として展開している。1979年には大手酒造メーカーとして初めてアメリカ・カリフォルニア州に現地法人を設立するなど、国際的にも先進的な活動を行っている。現在は、創業家の女性・長部訓子氏が社長を務めている。
庄司酒店発刊「リカーズ」連載日本酒コラム
関友美の「そうだ。日本酒を飲もう。」6月号転載
(庄司酒店様に許可を得て掲載しています)
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