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ぼくらの「アメリカ論」

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ぼくらのどこかに、いつも「アメリカ」がある。 高知、神戸、東吉野。文学者、建築家、歴史家。居住地も職業も違う3人が、互いの言葉に刺激されながら自分にとっての「アメリカ」を語る、こ…
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2024年1月の記事一覧

9 フラーから考える建築家の倫理 光嶋裕介

「建築家は家屋の海原の中にたとえば聖堂をつくる。ヨコのひろがりの内に、タテの力が働く場をつくり出そうとする」(『ヨコとタテの建築論』慶應大学出版会、2023、p.128)とは、建築史家の青井哲人の言葉である。 青井はまた、「新しい制作のきっかけは、いつも所与の豊穣な世界にある。素材もそこから集められ、集まったものが交雑する。ところがそこに世界からの超越が兆す。接続しない自律はありえない。ヨコのないタテはありない」(同上、p.34)とも述べている。 ヨコに展開するのは、白岩さ

8 アメリカの「自由と民主主義」が抱えるもの 青木真兵

何度も繰り返すが、このリレーエッセイにおいて僕は自分の中にある「アメリカ」を見つめ言葉にし、現代社会とどうにか折り合いをつけられるようになりたいと考えている。なぜなら、自分の中にある「アメリカ」と現実のアメリカとのあまりにも矛盾した状態に、正直なところ大きく失望しているからだ。それは一言でいうと、「自由と民主主義」の問題である。 「自由と民主主義」のアメリカはどこへ行ったのか僕が幼少・青年期を送った1980、90年代にアメリカの存在感の大きさを疑う者はいなかっただろう。ベル

7 戦争と分断に抗って「線路」を延ばす 白岩英樹

元旦に迎える3巡目。戦争と分断の時代にリレーエッセイを書きつなぐ意義をつらつら考えている。 その場にふたりしかおらず、相手の話に慎重に耳を傾けようとすると、どうしても顔を見つめあうことになる。すると、お互いの面持ちか、その背後に延びる線上の空間しか視界に入ってこない。次第に両者の距離は近づき、対話の密度が高まっていく。呼吸が浅くなり、言葉のラリーは緊張感を増す一方である。 そのように関係性が閉ざされていくなか、ラリーに必要な距離を保つには第3者の存在が欠かせない。たとえば