2024.04.27『センスが赤裸々』

自由律俳句は作り手のセンスが赤裸々になる。
決められたリズムに助けられることも、季語に委ねて託すこともなく、加工されていない言葉で作り出される。まさにセンスだ。
そう言われると「自分にはセンスがないから」と思ってしまうかもしれないが、自由律俳句に興味を持った時点で自由律俳句に関するセンスはあると思って良い。
自由律俳句が面白さに気づくにはセンスが必要であるからだ。

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