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喜び、希望

ナミブ砂漠ツアーを終え、一夜明けた。(まだ外は暗かったから、明けた感じはしなかったが)宿から空港までのシャトルバスを前日に予約しておいた。5時45分に出発であった為、5時半に起床した。相変わらず目覚めは良い。荷物をまとめて、部屋を出る。ツアーからずっと一緒だったクリスチャンとはここでお別れだ。僕の記憶が正しければ彼は確かボツワナに向かいそのままアフリカ大陸を北上するはずだ。毎度異国に赴いて感じるのだが、彼らはどこにそんなお金があって時間があるのだろうか。仕事はどうしているのだろうか。そもそも、それについて考える僕の日本人脳とでも言うべき価値観は、国際的視点から見ればズレているのだろうか。とにもかくにも、彼とはおそらく今後会う確率は極めて低いだろうからちゃんとさよならとありがとうを伝えたかった。が、彼は疲れて寝ていたからそれはしなかった。わざわざ起こして意を伝える程僕は英語に自信がなかったからなのかもしれない。音を立てぬよう、そっと部屋を出てロビーに向かう。宿は静寂に包まれていて、明け方だからだろうか少し肌寒かった。シャトルバスの利用者は、僕だけだった。ウィントフックはナミビアの首都だ。にもかかわらず、星は煌々と輝いていて、よく見える。東京では中々ない(というか、あり得ないだろう)光景だと理解していたから、1秒たりとも目を離したくなかった。今まで、移動が多かったから気がついた。普段目を向けない、何気ない一瞬にも感動を見出すことができる。子供の頃電車の椅子によじ登り、外の景色をかじるようにひたすらに眺め続けていたあの頃、感動ばかりだったからそうしていたのだろう。人は大人になるにつれて興味の幅は狭くなるのだろうか。もしそうなのだとすれば、純粋に悲しく思う。

飛行機を待つ間、ネックレスを買った。アフリカ大陸をかたどったものだ。未だにそれらしいお土産を買っていないことに気がついたことからくる焦燥感がそうさせたのか、単にネックレスが欲しかったのか、旅人感を醸し出したかったが故のそれだったのかは断定できないが、迫り来る帰国(僕にとっては現実回帰であった)を意識し始めたことの裏返しなのだと思う。そう、気がつけば帰国まで残り3日となっていたのだ。


ついに最後の入国印をパスポートに押された。最後の国、南アフリカ共和国へと入国を果たした。想像以上に暖かくて驚いた。驚いたことがもう一点。空港内に白人を多く見るようになったこと。旅行者もそうだが、従業員がそうであった。かつてアパルトヘイトにより多くの犠牲を払った国家は確実に共存に向けて進歩している。ような気がした。Uberで宿まで向かう。この頃になるとだいぶ耳も英語を聞き取れるようになっていて、運転手と日常的な会話は苦にならなくなっていた。チェックインを済ませ、残された時間と成し遂げたいことを照らし合わせる。厳密に言えば、この国を観光できるのは2日間(午後に着いたから、もっと厳密に言えば1.5日間しかなかった)であった。無駄にはできない。貴重品だけ持って街へ飛び出した。ライオンズヘッドの登頂を試みた。が、迷いに迷って4時間近く歩いていた。汗まみれになり、たまらず水を購入したがそれも虚しく、途中で断念せざるを得ないことになった。帰ってシャワーを浴びて寝よう。そう思い宿に戻った。が、シャワーは水しか出ない。ケープタウンなら流石に温水は出るだろうと高を括っていたが、そんな甘い現実は冷水ともにぼくに覆いかぶさってきた。(当時ケープタウンは8月で真冬)震える身体を温めようと部屋に戻り布団を被り横になった。だがその震えはいつまでも止まらず、夜中まで続いて眠れなかった。体も熱を持っている。マラリア。その4文字が頭をめぐる。恐怖でしかなかったが、とりあえず目の前にあった水を大量に飲んだ。明日の朝も熱があったらいよいよ大変なことである。今後待ち受ける様々な事柄を、ある程度の覚悟を持ちながら眠りについた。

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機内から撮ったケープタウンの様子。左奥に見えるのがシンボルのテーブルマウンテン。

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シグナルヒルから街を一望できる。ひときわ存在感を放つ、マラカナンスタジアムはW杯で使用された。

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時間的にテーブルマウンテンは登頂できなかった。

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ライオンズヘッド登頂を試みたものの、登山道を途中で見失ったため断念した。

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愛のある標識は事故を減らすことができるのか?


起きると、体の不調は嘘のように良くなっていた。おそらく、大量の汗をかいたことによって脱水症状を起こしていたのだろう。マラリアの危機を乗り越え、心もスッキリした。マクドナルドで朝食を済ませる。南アフリカではセットでおよそ250円程だ。この物価の差は一体何が原因しているのかを書き出したらこの記事の本題から逸れてしまう可能性が大いにあるのでこれについては後述する。(たぶんしない)

Uberでの移動は慣れたものだ。この経験値を本国で活かすことができないのは残念極まりない。観光最終日となったこの日は(異国にいる時点でそれこそが観光だとするのであればこれは間違いではあるが)目標地点である喜望峰に向かう。あの看板の前で写真を収めることで、僕の縦断旅は幕を下ろすのだ。ドライバーの勧めで、ボルダーズビーチに立ち寄ることにした。時間はいくらでもあるし、アフリカらしいサファリは体験していなかった物寂しさから断る理由はなかった。ボルダーズビーチはサイモンズタウンに位置し、ケープタウンの観光地として名を馳せている。野生のペンギンを間近で見ることができることが人気を博し、世界中から人が集まる。実際に現地に着くと多くの観光客で賑わっていた。特にアジア系が多いのは極地から離れた場所に位置し、ペンギンそのものに物珍しさを覚えるからであろうか。相変わらずチャイナの大軍団はよほど自国の言語を誇らしく思っているのだろう、やたら大きな声で所構わず会話をする。日本人は申し訳なさそうに人の間を抜けていき、またも申し訳なさそうに写真を撮る。会話の声量も申し訳なさそうに控えめである。両者の対照的な光景に思わず注目してしまう。ペンギンよりもそっちの方が個人的には興味深かった。

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観光地、ボルダーズビーチ。中々臭かった。

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ボルダーズビーチを後にし、喜望峰に向かう。が、ここからおよそ20km離れている。またしてもUberの出番だ。しかしながら当然電波がない。それらしきタクシードライバーも見当たらない。止むを得ず、しばらく街をふらふらと彷徨う。Wi-fiを利用できるカフェに入り、コーヒーを注文する。電波が届いた瞬間に安心感は増幅する。が、それは同時に探究心を奪ってしまうのかもしれない。(当然頼んだメニューは最も安いものだ。倹約家にとってこれはもはや習慣なのだ)

無事にタクシーを呼び、喜望峰に向かう。ドライバーとは共通の話題で盛り上がった。中国人の悪口で意気投合できるとは思ってなかったから、楽しかった。もちろん中国人にも良い人は沢山いるし、独自の文化を持っていて素晴らしい観光地も山ほどある。魅力的な国であり、彼らの食文化はとても好きだ。(だから多少の罪悪感はあった)

喜望峰は国立公園の中に存在し、停車場から少し歩いた先にある。ケープポイント(高台)に行った後、喜望峰に行くのが定番のルートらしい。ドライバーとは喜望峰の前で落ち合うことにした。帰りの運転も同時にお願いした。大西洋は青々しく雄大だった。その先には南極大陸が広がり、一切の国家が存在しない。海の向こう側がそうした状況であると考えたら興味深かった。エチオピアを踏んだ足は、ようやくこの地を踏みそしてその歩みをついに止めた。写真で見たことのあるあの光景が今目の前に広がっている。喜望峰と名付けられた理由がなんとなく理解できた。かつてヴァスコ=ダ=ガマがインドを目指し経由した地。香辛料を求め航海技術も確立されていない時代にもかかわらずリスクを承知で海に出た。その道中に立ち寄ったこの地をその名で呼んだのは、航海目的を達成する願掛け的要素があったからなのか。喜びと希望に満ち溢れその期待を胸にしていた人間が集まったからその名がついたのか。それとも全く別の理由があって、全く別の人間がつけた地名なのか。答えは調べればすぐにわかるが、僕は自分なりの答えを出す必要があった。

第一線でサッカーをすることを諦め(今では体育会系だけがが第一線だとは思っていないが)、今まで拠り所にしていたサッカーというアイデンティティの書き換えが必要になった。周りに流されろくに自分で考えず、すぐ人に答えを求め、人の考えになんとなく従い、淡々と作業をこなすように生きてきた。一つのことを究極まで突き詰めることができるという人もいる。それは的を射ているし、それは素晴らしいことだと思う。しかしそれでは違うのだ。周囲の人間に認められたいが故に格好つけていた自分との決別が、僕には必要だった。意見も持たず、大衆の考えを聞いて答えを出すのは乱暴だし、納得感もそれ程大きくない。

あの集団に属することを諦めた時点で、プライドは捨てていたつもりでいたが、どうやら僕は傲慢さが滲み出ていたようだ。就職活動を開始してすぐに僕はそれに気がついた。自分のちっぽけさを理解することで今まで恐れていた否定されることは原動力になると知った。この旅も当初はみんながやらないことをして、充実感を得たいと考えていた。が、アフリカ縦断なんて色んな人がやってるし、数多くの内のたった1人である。そこにはなんら希少性はない。その中で、考えることをやめ、人に聞く(ネットサーフィンも含む)ことをしたら、それこそなんのために大金を借りて、時間をかけて、周りがインターン等の就職活動をしている最中にそれを放棄して、ここに来たのかがわからなくなる。だいぶ長くなってしまったが、こんなことを考えることができる事こそが、喜びであり、未来の自分への希望を模索できる、喜望峰とはそんな素晴らしい場所なのであると感じている。

話がだいぶ逸れてしまった。本来の記事に戻ろう。帰路は渋滞にはまることもなく、スムーズに宿に着いた。アフリカでの最後の夜をどう過ごすかは決めていた。ケープタウンには寿司を食べることができるレストランがあるらしい。帰国はすぐそこに迫っていたが、待ちきれなかった。宿から歩いて20分くらいに位置する「アクティブ寿司」は現地人で賑わっていた。期待が高まる。が、当然日本のそれとは大きく違った。米はモチモチしすぎているし、ネタはパサパサしている。味噌汁も味噌が強すぎてしょっぱい。アフリカのゲテモノばかり食べていた僕の舌は(非常に失礼な表現であることは自負している)狂っていたのか、はたまた空腹がそれを上回ったのか、当時は美味しく感じたのだから店側としては良いのかもしれない。最後の夕食を済ませ、宿へ戻る。ケープタウンの夜は賑やかだ。もう少し、ここにいても良かったが、航空券は買ってあるし、何よりみんなに会いたくなった。帰ったら合宿が待ってる。サークル最後の夏が既に始まっているのだ。乗り遅れるわけにはいかない。

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小高い丘を登れば眼下には大西洋が広がる。ついに辿り着いたようだ。

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かの有名なアクティブ寿司。味は正直イマイチ。味噌汁もしょっぱいし出汁を取ってないのはすぐにわかる。

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帰りの航空機の中で、銭湯に行くことを心に決めた。お湯に浸かることが無性にしたくなるのは日本人の性であろうか、身体を労ろうと思う。病気もせずよくここまで頑張ってくれた。健康であることが僕に数多くの出会いと感動を与えてくれたのだから。これからも、健康でいたい。酒、控えめにしようかな…

長かったアフリカ旅の詳細はこれにて終了です。ご愛読ありがとうございました。

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