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河内キャプテン、おめでとう!!

眠い。
14時からお酒を飲むと、18時ごろには眠くなる。
成人して5年。分かりきったことだが、改めて思う。


年末年始は親父の実家である水戸で過ごすことが恒例となっている。
思えば昨年は原因不明の高熱に襲われ、誰とも年の瀬を惜しむことも新年の喜びを分かち合うこともできなかったが、
今年は前回の経験を活かし、年末年始の健康維持に努めたこともあり
無事に向かうことができる。

年末なので少しお酒を飲みたい気持ちになり
気がつくと時刻は18時を過ぎてしまった。
水戸に向かう電車で、ストレスフリーな眠気に苛まれている。


久しぶりに筆を取るということは、それなりのエピソードが見つかったということ。
形骸化されつつあった毎年恒例の集まりが、今回は何かとグッと来た(昨年は発熱によって不参加)からだ。

10年前、僕たちは日本一を獲った


大学を卒業し、社会人となって3年が経った。
毎年集まりはするものの、それぞれのその後の人生を話す機会はなかった。
そんな中、今年は当時の監督であった大橋さんがわざわざ来てくれた。
実に10年ぶりとなるかつての指揮官は、白髪となり時間の経過をより実感させた。
毎年参加してくれる仁さんは今年もジーンズに白シャツという変わらないファッションで、ただ少し老けたかな、という感じはしたがいつもと変わらない笑顔で来てくれた。

お酒も飲みながら、話題はそれぞれのその後の進路、現在に至るまでの話と、当時の1番の思い出を順番に話すことになる。
僕の進路については他エピソードで記述している通りだ。

皆それぞれ、サッカー選手として活躍している人間もいれば、指導者としてサッカーに携わり続けている人間もいる。僕もその1人だが、サッカーから離れて別の道を選んだ人間もいる。
その中で印象的なエピソードがあった。
仁さんが明かしてくれた、
僕等のキャプテンだった、渉真の話だ。

ユースに上がれるかどうかについて、僕たちは中学3年生の夏に保護者同伴で面談を組まれ、その場で言われる。
当時のことはなんとなく僕も覚えている。
僕らは総勢20名いたのだが、結局そこからユースに上がれたのは8人のみだった。
キャプテンを務める彼は、当然上がるものだと僕は思っていた。
が、彼は上がることができなかった。
当然、中には悔しさから涙を流すメンバーもいたそうだ。

彼は違った。泣いてはいたらしいが、違った。
泣きながらも、このメンバーで日本一を獲りたい、と仁さんに伝えたらしい。
結果的に僕らはその年の冬、悲願の日本一を獲るのだけど、自分の知らない裏側でそんなやりとりがあったことを10年経ってから知った。

何故、あの時僕たちは優勝できたのか、
何故、根拠のない自信で溢れていたのか、
何故、チームとしての推進力を感じていたのか、
ずっと考えて答えが見つからなかった問いに、この話を聞いてふと思うところがあった。
彼がキャプテンでなければ、日本一はきっとあり得なかったと思う。
それくらい、無意識のうちに僕たちは彼の思いの強さと人間性に影響されていたのだと思う。

個人的な話に戻る。
僕は昨年から人事異動に伴い全く異なる事業部に席を置いている。
正直、昨年はひどかった。
働くモチベーションも無く、ただ淡々と目の前の業務をこなす日々。

そんな中、かつての仲間たちの話を聞いているうちに、気がついた。
今の自分は何も彼らに誇れるようなことをできていない。果たして、胸を張って今を頑張っていると言えるのだろうか。
昔の自分に対して何故かとても恥ずかしくなり、このままではいけないと、
今、それぞれの道で頑張っている仲間たちに失礼だなーと、強く感じた。
なので、ここに宣言。
2024年は仕事に対してより前向きに取り組んで、
日本一を獲ったプライドを持って、真摯にやろうと思う。
当時苦しかったことはなかったかを振り返るが、中々思い出せない。
苦しさの先にあった喜びや満足感が大きすぎて、きっと忘れてしまったのだと思う。
だから多少辛いことがあったとしても、それは後々の喜びで全てかき消せる、いつかは前を向ける。
その意気込みで今年は天井を定めずに突っ走る。10年前、僕たちは日本一の仲間達と日本一を獲ったのだから、きっとできる。



素敵な仲間に本当に恵まれていたなと実感した、
そんな素敵な時間を過ごせました、というお話。


おめでたいお話がここでひとつ。
元キャプテンの、河内渉真くん。
彼は今年の4月に結婚する。
当日も勿論参加するが、この場でも言わせて欲しい。心からおめでとう😁当日楽しみにしています!

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