ナミブ砂漠ツアー
7時に目が覚めた。どういうわけか、異国の地での目覚めは驚くほど気持ちがいい。どんなに遅い時間に就寝しても、朝方には必ずと言っていいほど眼が覚めるのだ。朝食をかき込み、送迎の車をロビーにて待つ。予定の時刻になっても送迎車は一向に来ない。昨日あれほど確認したのにもかかわらず、不安になってくる。一応確認のメールを送ってはみたものの、返信は来ない。結局信じて待つしかないのだ。送迎車は9時に来た。約1時間待ったのだが、ちゃんと来てくれた安心感が怒りをかき消した。宿でユウキさんとチカさんと別れの挨拶を交わし、扉を開けて車に乗り込む。別れの後には出逢いがある。既に車には中国、カナダ、ジンバブエの女性たちが乗っていた。いつしか、How are you の挨拶は染み付いていた。日本にはこのような言葉がないことにはないが、あまり使わない。そこに少し寂しさを感じる。ようやく始まるのだろう、滞りなく始まりそうだ。そんな安心感とともに車の後部席に座り込んだ。ツアー参加者の宿に向かっては拾い、を繰り返し最終的な人数は総勢14名。国は様々だ。アルゼンチン、ポルトガル、ドイツ、フランス、イタリア、日本。医大生2人は日本人だった。(でもやはり2人なんだなぁ)彼らにとって1人でアフリカを旅する僕の存在は特殊な様子だった。ドライバー兼ガイドの名前はジョン・カンゲンガ。彼らと3日間を共にする。念願のナミブ砂漠ツアーが、いよいよ始まるのだ。10時半ごろ、マイクロバスはようやくウィントフックを出発した。途中で大型スーパーに寄り、3日分の水を買い込む。食事は提供されるから、必要なのは水と、自分で食べたいお菓子だ。食事、テント、寝袋付き込みで400ドルであるから、安い方ではあると思う。
手前に座っているのが、ジョン。3日間彼は良くしてくれた。持つ知識を僕らに全て提供してくれた。素晴らしいガイドだった。後列左後ろがアルゼンチン人のクリスチャン。彼とは同じテントで一緒にいた。帽子を被った男女はドイツ人夫婦で、奥さんはめちゃめちゃ可愛かった。好きになりそうだった、というか、好きだった。
2時間ほど車を走らせると、あっという間に砂漠地帯に入った。
3時間経った頃だろうか。車は突如停止した。降りると信じられない光景が広がっていた。おそらく前を走っていただろう。別のツアー団体を乗せていたマイクロバスが横転している。天井部分はあり得ないほどに変形していた。窓ガラスも全て割れ、乗っていた人たちの荷物は道を横切るように散乱していた。キャリーケースは見るも無残なほど損傷し、中身が飛び出ている。中にはガラスで切ったのだろうか、血を流している人もいた。むち打ちだろうか、具合が悪い様子で横たわっている人もいた。長い一本道であったから、続々と人が集まってくる。僕は散乱した荷物を道路脇に運んだ。が、ほとんど見ているだけで何もできなかった。情けなかった。記録の写真は倫理的に撮る気になれなかった。そんな余裕がないくらい、その規模は凄まじかったのだ。思いがけないアクシデント、異常事態だ。1時間ほどしてようやく車に乗り込みその場を後にしたが、彼らがどうなったのかは知らない。安心しきっていた心に緊張感が入り混ざる。自分たちの車がああなっていたのかもしれないと想像すると、恐ろしい。同時に彼らに対する同情が沸く。(おそらく彼らはツアーが始まって間もない事故によって全てが終了した)
18時ごろ、車はセスリムのキャンプサイトに到着した。このキャンプサイトはナミブ砂漠ツアーにおいて拠点となる場所だ。共同トイレ、シャワー室も完備されている。今夜はここで夜を明かす。協同してテントを張る。地面を見ると、おそらく誰もが想像する砂漠、砂の地面が広がっていた。火を起こし、夕食まで待つ。夜に飲む用に、バーにビールを買いに行く。外に出ると辺りは暗くなっていた。見上げると満点の星空が広がっていた。ダナキルでは見ることのできなかった景色がそこには広がっていた。その星空の下、夕食を食べる。21時ごろだっただろうか、空腹にビールは良く合う。翌日の起床は6時。食事をとるなり、すぐに就寝した。
2日目。まだ暗い中起床した。テントの窓を閉め忘れていたようだ。顔中に砂がこびりついていた。テントの中も砂だらけになっていた。クリスチャンには申し訳なかった。(謝ることはしなかった、プライドだ。(ただのクズ野郎)) セスリムのキャンプサイトのゲートが開くのが6時20分。長い車の列がすでにできていた。この日はサンライズを見る。DUNE45と呼ばれる砂丘を登り、その頂上から朝日を拝むのだ。セスリムキャンプサイトから45kmに位置することからこの名がつけられたそうだ。暗がりの中ぼんやりと遠くに見えていた影は次第にその全容を僕らに披露していく。昨日は全く見ることができなかった世界が、広がっていた。巨大な砂丘が360度見渡す限りに広がっている。圧巻だった。
DUNE45。このように皆んなで登る。これが意外にもキツかった。不安定な足場は体力を奪う。吹き付ける風は強く、冷たい。日本男児としてのプライドを懸けて、熾烈なトップ争いをした。途中でサンダルが砂の重みによって壊れてしまった。ロシア人ぽいやつらに負けた。(壊れてなければ、1位だった)3位で頂上に着いた時、息はキレキレだった。例えるなら、持久走の後に血の味が広がる、あの感じだ。砂丘の上は非常に風が強い。写真を見るとわかるが、細かな砂が風によって絶えず飛ばされている。このようにしてこの広大な砂丘地帯は形成されたのだ。朝日に照らされた砂丘は綺麗なアプリコット色をみせる。ポストカードにあるようなあの色だ。本当に美しかった。世界一美しいと呼ばれる所以たる光景が、いつまでもそこにあった。
絶景を堪能した後、丘を降り朝食を食べる。いただきますを言ってから食べ始めようとしたら、ドイツ人超絶美人人妻が話しかけてきた。「祈ってるの?」と。食べ物に感謝の意を表するんだよ、と教えると、日本の宗教はなに?と聞かれた。この質問の返答が一番困った。日本の宗教はなんだろうか。外国の人は宗教をとても大切にする。彼らに対して日本は無宗教なんだとは言えなかった。日本語でも説明することが難しいことを英語で答えるのだ。無理に近かった。だから、この質問は色々な場面で(ダナキル砂漠ツアーでも、タンザン鉄道でも)聞かれたが、なに1つ自分も相手も納得のいく返答はできなかった。
朝食を済ませ、次の目的地に向かう。デッドフレイ。とても、興味深い場所だ。砂地に突如現れる白い大地。そこに生える枯れきった数々の木々。非常に奇妙かつ神秘的な場所。写真ではみたことがあるが、実際に自分の目で確認したかった。しばらく車を走らせると、一際巨大な砂丘が見えてきた。通称ビッグダディ。標高はおよそ300メートル。デッドフレイはこの砂丘の麓にある。ビッグダディの麓から少し離れた場所に停車する。観光客は皆、そこから徒歩で目的地へ向かうのだ。僕らには2つの選択肢が与えられた。1つはこの巨大砂丘を登頂してから麓のデッドフレイを観光する。もう1つは直接デッドフレイへ向かう。与えられた時間は1時間。迷わず前者を選択した。流石にその名前が付けられただけある。この登頂はとてつもなくしんどかった。砂漠は距離感が掴みにくい。いつまでも終わりが見えてこない精神的苦痛と、不安定な足場による身体的苦痛が朝登ったDUNE45の比じゃなかった。が、なんとか登りきった。(結局登りきったのは僕とクリスチャンだけだった)
画像を拡大するとわかるはずだ。黒い点が人間であるからいかに長い道のりかを理解できるだろう。(特に2枚目は分かりにくいが、よくみて欲しい)
ヘトヘトになりながらも登頂し、下を見下ろす。青い空と、黄土色のみで形成された世界に、異なる色が加わる。白い大地が現れた。枯れた木々が点々と存在する。木々はまるで焼け焦げたかのように黒い。それもそのはず、砂漠は灼熱の大地だ。
ビッグダディの頂上から望むデッドフレイ、人がゴマのように小さい。
裸足で歩いても熱くない。感覚としてはゴムのように弾性があり、柔らかい。
角度によっては絵画のようななんとも不可思議な光景になる。
砂漠地帯の空は綺麗だ。水分がないため雲はできない、常に快晴だ。
デッドフレイを後にする。キャンプサイトに1度もどり、しばし休憩。この時間に日記をつけた。忘れないうちに書くことでより明細なものになる。一生に一度の可能性が高いこの旅を、行ってきました、良かったです、で終わらせてしまうのは良くない。(一生に一度かどうかは断言できないが)
16時ごろまで時間を潰し、近くの小高い砂丘に登りサンセットを眺める。(小高いといっても200メートルくらいはあるだろうか)1日にサンライズとサンセットを眺める経験は生まれて初めてだった。人間はかつてそうであったのにもかかわらず、だいぶ変わってしまったものだ。(いやどの口が言うとんねん)
素晴らしい眺めであった、夕焼け色に染まる砂丘は朝とはまた違った様相を見せた。
オリックスも、キリンも見ることができた。
こちらは鳥の巣。この中に数百もの小部屋があるというから驚きだ。
サンセットを見終え、キャンプサイトへ。最後の晩餐はステーキが出た。砂漠の星空はいつ見ても美しかった。最後の空を堪能して、クリスチャンの待つテントに戻った。(別に彼とはそういうことはしていないし、その気もお互いないから落ち着いてほしい)
翌日、テントを全て片付け車に積み、ウィントフックへと戻る。一本道をただひたすらに走る。もう訪れることはそうそう無いと思うと何も変わらない平坦な景色ですら貴重に感じた。帰りは一睡もしなかった。見逃したくなかった。途中で車は停車し、路肩でランチタイムを迎える。ここで、1人ずつツアーの感想を全員の前で述べることになった。恥じらいはなかった。簡単な単語と表現ではあったがおそらく通じたと思う。否定されることを恐れてチャレンジすることを拒めば傷つくことはない。が、それを承知でやってみると達成感は素晴らしい。この経験は大きな自信につながったような気がした。結局ウィントフックに戻ったのは夕方18時過ぎだった。タイヤが故障するアクシデントが発生したのだが、修理に時間がかかったためだ。ツアー後で良かったと思う。ジョンがいない隙を狙い、みんなでチップの話をした。彼にはお世話になったと思うし、みんなもそう思っていたと思う。快く、チップを封筒に入れた。僕らを本当に楽しませてくれた。日本にチップの文化はないからどのくらいあげるのかわからなかったが、今回の旅でだいたいどんなもんかは理解した。宿まで送迎してもらった。クリスチャンとは偶然にも同じ宿で、同じドミトリー部屋だった。嬉しい気持ちになったのは、なんでだろうか。別に彼とずっと旅をしていたわけでもないのに妙な親近感を覚えていた。こういうことがあるのも旅の醍醐味なのかもしれない。翌日早朝には空港に向かい、最後の地ケープタウンへ飛ぶ。空を見上げると満点の星空はもうそこになかった。ナミブ砂漠のあの空は生涯忘れることはない。長かった旅も気がつけば残り3日になっていた。寂しくなる気持ちを抱えながら、僕は眠りについた。
次回で最終回。南アフリカケープタウンの様子をお伝えします。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?