見出し画像

ダナキル砂漠ツアー

9時半に出発した車は、列を成して走る。ツアー参加者の総人数は30名ほどだろうか。韓国の教師達が18名くらい、こちらは団体でタンザニア旅行を経てここにやって来たようだ。他はスペイン、フランス、ドイツなどヨーロッパがほとんどだった。70代の日本人男性もいた。この歳でアフリカ旅行は流石にワイルドだと思った。将来は自らもそうなりたいものだ。


画像1

車は途中何回かフォトスポットで停止し、休憩も兼ねた撮影タイムが設けられた。

画像2

画像3

画像4

ランチはパスタをいただいた。(ツアー料金に含まれる)腹が減っていればなんでもうまく感じるものだ。

車を走らせていると、次第に景色は変わっていった。草木がなくなり、より一層日差しが強くなる。外の気温は40℃を超えており、吹く風も熱い。例えるならばサウナの湿気がない感じが最もしっくりくるだろうか。生まれて初めての砂漠。想像以上に暑かった。

画像5

一番左が日本人のおじいさん、確か年齢は70代だった気がする。

画像6

画像7

景色は一変し、緑は殆ど見えない過酷な地が広がっていた。道中、家が建っていたのには驚きだった。こんな場所にも住んでいる人間がいる。

キャンプサイトに到着したのは14時ごろだっただろうか。何もない場所にポツリと現れたそこには、簡易的に作られたベッドと、小屋のようなものが。

画像8

どうやらここで食事をとり、一夜を明かすらしい。試しに寝転んで見ると、当然だが暑すぎて寝れる気が全くしなかった。大きな荷物を置き、最初のスポットへと向かう。

画像9

ポツリと現れたのは塩湖。その濃度はとても高く、入ると死海のように身体がぷかぷかと浮く。周辺を見てもらうとわかるだろう、ここら一帯は塩分を非常に多く含んでいるため、地面が盛り上がり不思議な模様を出している。

画像10

画像11

画像12

親指のささくれは気にしないでほしい。

画像13

周りを見渡してみると、本当に何もない。360度、平坦な大地が広がり続けている。地面に両足を広げて立っているように見えるが、実は飛んでいる。

画像14

画像15

そして何より強風。もちろん吹く風は生温かい。しばらく車を走らせると、突如、大地の色が変化する。白い。塩湖だ。こちらも見渡す限り、何もない。白い大地がただただ広がるだけだ。ドライバー・ガイド達によるワインのサービスは嬉しかった。みんなでワインを囲い、踊ったりして楽しんだ。既に日が沈んでいたが、それでも気温は高く暑かった。

画像16

画像17

画像18

画像19

何かやれと言われたから、とりあえず盆踊りをしたらかなり盛り上がった、はず。

画像20

夜は本当に暑かった。寝れない。風も熱風で汗が出るほどだ。途中で雨が降ってきたが、みんな寝続けた。雨が気持ちよかったからだと思われる。期待していた満点の星空は、嘘のように見れなかった。暑すぎると、見れないのかもしれない。悔しがっていたら気がつくと、寝ていた。

5時に起床し、メシを食う。当然ながら、シャワーは浴びれていない。髪の毛はバリバリになってすごいことになっていた。トイレもみんなその辺でする。野糞には慣れたものだ。あの快感は中々良い。

画像21

車は通称ナメック星と呼ばれるダロル火山を目指して走る。この日は曇り空だったからか、それ程暑さは感じなかった。国境付近は治安が悪い。銃を持ったソルジャーが加わった。地面はいよいよ火山らしくなり、特徴的な地面に変容していった。黄色いのは硫黄だ。そして、到着した。目を疑った。果たしてここは地球なのか。異様な光景に胸が高鳴った。耳をすませると地球の鼓動ともいうべきゴボゴボという音が聞こえてきた。至る所で硫化水素ガスが発生していた。ガスが出ているところには決して行かないようにガイドにきつく言われた程、ガスは充満していた。

画像22

画像23

画像24

画像26

画像25

画像27

液体がたまっているが、特に黄色い所の液体には触れないように言われた。相当濃度が高いのだろう。そこから少し離れた場所に案内された。こちらは魔法の泉と呼ばれている。貴金属をこの液体の中に入れて擦ると、ピカピカになるという。触ってみると、オイルのようにヌメヌメとしており、生温かかった。

画像28

そして、塩を生産している場所にも訪れた。ブロック状に切り崩された塩が大量に積み重なっていた。作り出されたこの塩の塊は、ラクダに運ばれてひたすらに炎天下の下を行くらしい。再び車に乗り込み、次はエルタアレ火山へと向かう。途中小さな町へ立ち寄った際、子供達と触れ合う時間があった。彼らとは一緒に立ち幅跳びをした。お金をせがむ彼らに対してそのままあげてしまうフランス人がいた。良くない。違う。それはしてはいけないのだ。どういうわけか心でそのように考えていた。お金に群がる子供達が、餌に集う動物に見えてしまったのかもしれない。ただのケチだと思う人もいるかもしれない。直接いってみればわかる。お金を渡せばそれで終わりだ。彼らと向き合うことが、高度な教育を受けた我々がすべきことであると感じるはずだ。人と向き合うことを知らず育った子供はそれを理解できない大人になってしまう。とにかく、良くないことだと、直感的に感じ取った末の立ち幅跳びだった。僕にはなんだか、お金を渡された時よりも、心の底から笑っていたように見えた。

画像29

画像30

画像31

画像32

画像33

エルタアレ火山の麓には17時半ごろだっただろうか、あたりはすっかり暗くなっていた。麓にはキャンプサイトがあり、簡単な囲いがある程度だった。夜はここにマットを敷き、寝袋を使い就寝するようだ。18時半に登頂を開始した。頂上というか火口まではおよそ30分ほど。ついに到着した。火口ギリギリまで足を運び、覗き込んだ。70メールほど下に、赤い光が見えた。目を凝らすと、赤い点は動いている。地球は、生きている。1つ間違えれば下に落ちてしまうが、そんなリスクを考える余裕はなかった。とにかく、目の前の光景に圧倒され、ひたすらに立ち尽くし、眺め続けた。

画像34

画像35

画像36

一歩間違えれば、待つのは死だ。

希望者は早朝4時に起床し再登頂する。もちろん希望した。眠い目をこすりながら登り続けた。生憎この日はガスが多すぎて底が見えなかった。暗闇に包まれていた昨日とは打って変わり、周りの景色がはっきりと目視できる。3年前に溢れ出した溶岩が固まって、異様な光景が広がっていた。昨日見ることのできなかった全体像は、見たこともないものだった。溶岩の隙間に足を入れると、温かい。すぐ下を溶岩が流れているためだ。山頂は風が強く気温も低いため、みんな揃って温まっていた。

画像37

画像38

画像39

画像40

ツアー開始から3日が経ち、ようやくあの時間が訪れた。シャワーだ。もう髪がボサボサだ。連れていかれたのは、塩分濃度高めの湖。水着は持っていなかったから、パンツで入った。身体は浮いた。そこからすぐ隣にも池があった。そちらは火山の影響で温かい。露天風呂のようだった。そしてどういうわけか、塩湖のような感じがしない。普通のお風呂だ。ありがたい。さっぱりしてから車に戻り、ランチを済ませ、メケレへと帰る。

画像41

画像42

画像43

振り返ると、信じがたい光景が現れ続けた刺激のあるツアーだった。他では決して体験することのできない唯一無二の存在。気になった方は是非いって欲しい。たったの400ドルで参加できる。

メケレからアディスアベバへは飛行機で帰った。ヘトヘトな身体にはあのバス14時間は無理だった。(この時色々とトラブルがあったが、前述したように日本語を話せるチヤが交渉やらをしてくれた。本当に彼女にはお世話になった)

以上がダナキル砂漠ツアーの全貌です!いかがでしたでしょうか!次回はエチオピアでの3日間を書きます!お楽しみに😁

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?