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Zambia Days

タンザン鉄道での長旅を終えた。終えたというよりか、突如終わったと言った方が正しいかもしれない。明け方4時に終点であるカピリムポシ駅に到着した。まだ外は暗く、寒い。当然だった。既に僕は南半球にいたのだから。(生まれて初めての南半球だったが、大した感動も起きなかったのはなぜだか今でもわからない)とにかく、気がつくと終点に着き、電車を降りてホームの改札(駅員にチケットを手渡すだけだったが)を抜け、構内の大きな待合室に移動した。まだ夜は明けていない。そのため多くの人がバスが来る日の出まで駅構内で待機していた。僕らもその覚悟はしていたが、どうやらルサカ(ザンビアの首都)へ向かう乗合バスが来ているようだった。先着順だったので急いで乗車した。が、全員大きな荷物を抱えている。それにバスというのもそれほど大きくはない。(例えるなら、マイクロバス。合宿等で宿からグランドまで移動する際に乗るやつ)そのため、車内はキツキツだった。後で聞くと、どうやら電車の到着する時間に合わせてバスが駅にやってくるらしい。ルサカまではおよそ2〜3時間。80クワチャ。4時半、まだ薄暗い中バスは出発した。景色はさほど変わらない。変わらないのは、アフリカの人々の朝は早い。周りに娯楽がないとこうも規則正しくなるのか、と考えたりもしたがバスはそんな事お構い無しに走り続ける。7時半ごろ、バスはルサカに到着した。バスターミナルには多量のバスが停車している。そこを抜けていきたかったのだが、案の定客引きがうじゃうじゃいる。しかも熱量が半端じゃない。掴んだ腕を離さないくらいがめつい。(加えて彼らは力が強い。やめてくれ)全てをスルーし、空腹を満たすために何かを食べようと思った。70ドルを860クワチャくらいに換金し、人気のない寂れたファストフード店にてチキンとポテトを購入した。(20K、生まれて初めて不味いポテトを食べた)店のトイレで💩をする。驚いた。便器はある。紙もある。が、便座がない。空気椅子での💩は、野糞よりもしんどいことが判明した。みなさんは野糞をしたことはあるだろうか。ブツが体外に排出され、着地するあの瞬間の開放感はなんともいえない。可能な限り、是非とも体験していただきたいものだ。

10時半ごろ、リビングストン行のバスのチケットを購入し、乗り込んだ。バスは大きく、快適そうだった。世界三大瀑布の1つ、(他2つは、ナイアガラの滝、イグアスの滝)ビクトリアの滝はザンビアとジンバブエの国境に存在している。ザンビア側の最寄り街がこのリビングストンである。ザンビアの最大の目的がこれを見ることだった。ルサカからリビングストンはバスでおよそ7時間。それほど遠くはない、このバスならば快適であるから楽勝だろうと高を括っていた。(察したかもしれない、その通りで何かがこの後起きる)

バスはこの通り、意外と広い。この時聞いていた曲は覚えていない。

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バスに乗り込み1時間、2時間が経過した。いつまで経っても出発しない。何度も売り込み業者が乗車して座席の間の通路をうろつく。これが本当にうざくなるくらいまで待たされた。結局バスが出発したのは14時。乗車してから3時間以上が経過していた。出発しただけ良いか、無事に辿り着いてくれればそれで良い。そう思っていた。2時間ほどバスは走り続けたところで突如として停車した。どうやら故障したようだ。新しいバスが来るまでここで待てと言われたが、何せ周りには何もない。ちょっと待ってくれ、バスはもうすぐ来る。そう言われたが、そのちょっとが、もうすぐが半端じゃなく長かった。この頃から僕は帰国日を意識するようになった。(帰国は8/26、南アフリカ・ケープタウン発。航空券はすでに購入していた)あと1週間後にはアフリカを後にする。焦りが出てきた頃にこのアクシデントである。とても不安になった。日本人2人(マモルさん、エイスケさん。前々作、Tanzaniaaaaa!参照)がいたからまだ助かった。これがもし1人だったらおそらく地獄だった気がする。

結局、新しいバスが到着したのは20時ごろだった。そこからおよそ5時間。到着は深夜か、と思っていたがどうやら違った。かつてザンビアでは夜行バスが国民から重宝された。安いし、便利だからだ。高まった需要は相応の供給を呼び起こす。多くの会社が競うようにしてバスのダイヤ数を増やした。すると何が起きるか。事故の多発だ。ドライバーの睡眠不足。これを受けて政府は、「夜22時以降の夜行バスの運行を禁止」とし、「翌朝4時から運行可能」という法律を定めた。らしい。バスは20時半に出発。行けるだけ進み、22時になるとピタッと停車した。出発は4時。まさかの車中泊だった。これがしんどかった。長袖1枚でアフリカの夜を明かすには、寒すぎた。上着は下に積んでしまった。寒すぎて眠れない。バスの屋根の1部分がどういうわけか、ない。そこからは綺麗な月が見えたがそんなサービスは必要としてなかった。深夜2時半から日が昇るまでは本当にしんどかった。

あまりの仕打ちに怒りで髪が逆立ってしまった。顔も無意識でこれだ。そうとうイライラしていた。(単に髪がバリバリなだけである。シャワーは大事だ。)

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リビングストンに到着したのは、10時頃だった。気づけば僕らは24時間バスに乗っていたことになる。クレイジーだ。我ながらよく耐えたと思う。リビングストンの街並みは、とても良かった。欧米のような建造物が並び、街の雰囲気も明るかった。なにより、道路が綺麗でゴミが少なかった。バスターミナルから宿までは徒歩で15分ほどだった。宿は(Fawlty Towers)1泊8.4ドルだった。ドミトリーだが、とても綺麗で素晴らしかった。4日ぶりのシャワーは最高だった。お湯のシャワーを浴びたのは、エチオピアのホテル以来だった。シャワーを浴び、ベッドに横たわる。横になってようやく寝ることができる喜びにしばし浸っていた。

夜は共同キッチンを使い、自炊した。マモルさんが日本から持ってきていたこくまろカレーは懐かしい味がした。それに加えてステーキも焼いて食べた。(通称ザンビーフ)ビールがとても合う。疲れた身体によくしみる。

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翌日、10時頃ホテルから滝までのシャトルバスに揺れられ、目的のビクトリアの滝に向かう。道中、野生の象と遭遇した。こういうところでもアフリカを感じる。まぎれもなく、いま僕はアフリカにいる。景色を眺めながらそんなことを考えているうちにバスは入り口に到着した。入場料20ドルを支払い、いよいよ中へ。が、愕然とした。というのも、時期は乾季。水がない。想像していた光景はまるで蛇口からちょろちょろと流れ出る、世界三大瀑布とは思えないものだった。こんなもの、日光で見ることのできる華厳の滝とさほど変わらないじゃないか。(あくまで喩えであって、華厳の滝にはなんの個人的恨みもないし華厳の滝ファンの方々には大変失礼極まりない表現であることは重々承知しているので弁明することにする。秋の紅葉シーズの華厳の滝は本当に素晴らしい。)とにかくがっかりしたことをお伝えしたい。どうやら、残念なのはザンビア側であってジンバブエ側は年中水量が豊富で素晴らしいようだ。行きたかったがさらに入国ビザでお金を取られる。そして時間も。ジンバブエからボツワナに入り、ナミビアを目指すというルートもないことはなかったが帰国まで1週間を切っていた僕の焦燥感はリビングストンからウィントフック(ナミビアの首都)へ向かうルートを選択した。ジンバブエ、ボツワナへは次の機会に訪れることにしよう。あればの話だが。さて、問題はこれからだ。滝を出て、リビングストンのバスターミナルへ向かう。そこからウィントフックへの移動手段はバスだが、情報はない。最大の不安要素だった。とりあえず行き、聞いてみるつもりでターミナルへ向かった。バスターミナルへ到着したのは11時半頃。バスの情報を聞いてみると、あった。しかも、今ちょうど目の前で出発するところだった。とてつもなく運がいい。乗せてくれ!いくらだ!?飛びつくように聞き、53ドル支払った。なんともいえない高揚感と、安心感だった。次の目的地へは行けそうだ。およそ22時間で到着するらしい。もしかすると、ナミブ砂漠に行けるかもしれない。乗車がしばらく興奮が収まらなかった。

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奥に見えるのはジンバブエ側からのみ。こちらからは遠目に眺めるだけしかできない。

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