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第12章「集客目標5000人!?!?」
9月、今年初めての対面授業、この日を皆待ちわびていた。初対面で感動しながら自己紹介的活動を期待していたことだろう。しかし、これが関ゼミの性なのか。いきなり先生の爆弾発言で幕を明けた。
「集客目標は5000人でお願いします。」 「・・・・」
この一言が先生の口から発せられたときにはまだ、5000という数字がとてつもないものであることを誰一人として理解していなかった。 年上のミャンマー人ゼミ長トウエがいきなり立ち上がり、前に出て力強く言った。
「30日間毎日1人5人集客!決定!」
まるで先生に歩調を合わせかのようだった。しかし、トウエの具体的説明を聞いた瞬間、ゼミ生はだんだんと現実を理解し始めた。
「え、毎日5人、30日間。私、そんなに知り合いいない」
しかし、トウエの勢いは留まるところを知らない。
「みんな、ここでやらないでどうするの、本気出してる?みんな顔見ていると余裕を感じる。ハングリー精神が足りないよ。もっと頑張らないと!」
「さすがに5000人は無理でしょ。先生もトウエもどうかしてる。気でも狂ったのか」などと言葉にできるはずもない。
唯一、怖いもの知らずの副ゼミ長アツトシが、丁寧な言葉でやんわりと皆の気持ちを代弁した。
「関ゼミ特有の希望的観測をすれば、5000人は達成できます。しかし現実的観測をすれば、不可能だと思います。」
「何あきらめてるの、やる前から。やってみなくちゃわからないでしょ。関ゼミらしく当たって砕けよう!日本人は侍でしょ。」
もはやトウエのステレオタイプ的日本人観を伴う体育会系アプローチには取り尽くしもなかった。そして、その場は解散してしまった。
その夜、皆それぞれに集まって、本音をこそこそ・・・
ちさき「ねえ、ところでなんで5000人も集めなければいけないの?」
トウエ「先生がそういっているからに決まっているでしょ。先生あれだけ頑張っているんだよ。」
アツトシ「先生が言っていることだからと言って正しいと判断するのは違うと思う。」
あきと「僕の読みでは、実際には5000人集まらなかったとしても特にどうってこともないんだよ。先生は思いつきで言っているに過ぎないと思う。あの先生きまぐれだし。みんな、僕たちは思考を失って、権力に屈していたんだよ。権力のある人が正しい訳ではない!今こそ僕らは立ち上がるべきだ!」
トウエ「あきと、何言っているの?革命でも起こすつもり?今はそんなことやっているときじゃない!みんなでまとまってサミットを参加させようよ!」
こんなやり取りが実際にあったことを一応記録に残しておく。
しかし、このままあきらめるのも、なんかむかつく。取り合えず、できるところまでやってみよう!
そして・・・
頑張った結果、なんと、過去の関ゼミイベントの最高集客数110人の何と約20倍以上が集まってしまったのである。コロナ禍のオンラインイベントに、2000人参加。あまりに思いがけない結果に一同絶句した。 思い返せば苦しみと苦労の連続だった・・・
雨の日も風の日も、集客のために声をかけては断られ、もはや対人恐怖症になりかけたこともある。
トウエからの「あなたたちは侍でしょ!あなたたちの切腹などみたくない!」という異文化感満載のメッセージに何度打ちのめされたことだろう。
一緒に落ち込んでほしい時に爆笑し続けるゼミ生に何度切れかけたことか あまりにも唐突な無茶ぶりをする先生に何度辟易したことか(泣) 多文化共生と言えば聞こえがいいが、関ゼミという多文化を生き抜くのは至難の業であった。
それでも闘い続けた私たち。 ダメになりそうになった時、そこにはいつも君(凛)がいた。
「侍スピリッツだよ!」 耳にタコのこんな恐怖の一言も凛に言われると心に火がついた。
もう声をかける人ないないと涙する日々そんな涙をやさしく拭うかのように、次から次へとアイディアを出してくれる頭脳派に何度助けられたことだろう。 彼らのおかげで、一つのメッセージをSNSに載せて3万人に届けることができた。 私たちの声を世界に届けることができた。
そして、終わってみれば、関ゼミ史上、いや東京経済大学史上最大のイベントとなった。 荒波にもまれながらも、私はこの厳しい世界を生き残ることに成功した。 苦労の末に得た2000人という夢のような集客数。このとてつもない大イベントは人生最大の記録として私たちゼミ生の記憶に生涯残ることだろう。
私たちはコロナに負けなかった。