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泣きながら、仲間づくり

束縛したい

ストーカーの本質

みなさんは、家族や友達のことが好きすぎて、全部理解して、束縛したいと考えたことはあるだろうか。
これが、究極まで行くと、ストーカーとか、殺人事件い繋がっているのではないかと思う。
人間の性なのか分からないが、他者に対して愛情深い故に、コントロールしたいと思うのかもしれない。

高校時代

私は、女子校だったが、仲の良い友達ができると、とことん話して、お互いに理解することを追求した。
高校1年生の時、Aさんとすごく仲良くなった、家に遊びに行ったりした。若かったのもあるけれど、話せば、ほとんどのことを共有できると信じていた。でも、ある時気づく。自分とAさんは違う人間なんだって。
そして、Aさんが、他の誰かと仲良く話していると気になって仕方なかった。私の知らないAさんがいるなんて。
そんな女子高生の若い時の気持ちを思い出した。
嫉妬、羨ましい、束縛したい、ないまぜになった気持ち。

結婚して、夫からの質問

結婚した頃、私は、大学の医局に大学院生として所属していた。飲み会があったりすると、夫から聞かれたことがある。
「その飲み会は、女性が何人で、男性が何人なの?」
私以外が全員男性だって時もあったりする。
だから、行ってはダメとかそんなことはなくて、飲み会で遅くなって、夫が送迎に来てくれた車で、上司の先生をお送りしたこともある。
最近は、そんなこと聞かれなくなったなぁ。
ちょっと寂しかったりする。
夫婦とは不思議である。

本気の喧嘩

夫と喧嘩

小さい喧嘩は何度もしたことあるが、一度だけ、本気で怖かった喧嘩をしたことがある。
何を話したが、忘れてしまったが、私が、何か本質的なことで、決定的なことを言ってしまったようだった。
もしかしたら、別れることになるかもしれないって覚悟した。
翌日、クリニックから帰るのが怖かった。
「もし、夫がいなかったらどうしよう。」
遠くから、家の明かりが見えない。
玄関に着いて、扉を開けると、真っ暗な部屋の中で、夫が一人座っていた。
「ごめんね。」
と私。
急いで、灯りをつけた。
あ〜良かった。夫がいてくれて。

43歳で本気の喧嘩

仕事仲間で親友のあっこさんとは、小さな喧嘩はいくつかしてきた。そして、大きな喧嘩も2−3度したかな。
以前、あっこさんにもこんなこと言われたことがある。
「さやかがそのままだったら、私、社員、やめるからね。」
なんで、そんなこと言われているのか分からなかったけど、大泣きした。
その時は、大泣きして、部屋から出てみたら、他のスタッフが、ドン引きしていた。そりゃそうだ。院長が大泣きしてるところなんて、誰も見たくない。あっこさんの言葉より、周囲の空気感のが怖かったな。

先日、久しぶりに大きな喧嘩をした。
車の中で、とうとう、私が、何か言った。
あっこさんが泣き出した。
私も泣いた。
お互い、叩いたり、怒鳴ったり。
そうして、泣きべそをかきながら、仲間が待っているカフェにたどり着いた。
みんなが笑っていた。
「二人は、幼稚園生みたいだね。仲が良いね。」
バツが悪かった。
泣き笑いしながら、真剣に、ことの流れを話す。
みんな、大笑い。
「やっぱり、幼稚園生だ。」
なんて。
良かった。今回は、ドン引きどころか、二人が羨ましいなんて言ってくれる仲間に囲まれて、癒された。
そして、あっこさんと、仲直り。
二人で車での帰り道
「私は、幼稚園生じゃなくって、せめて高校生くらいだと思うんだよ。」とあっこさん。
「でも、あっこさんの娘さんも高校生で、あっこさんより大人びてない?」
「そっかあ。じゃあ、中学生くらいかな。」
そんな会話をしながら帰った。
何年か経って、多分、振り返るんだろうな。今日のこと。

チームづくり

人との距離感

私にとっては、いつまでも人との距離感が掴めない。
遠い人は、とっても遠い。自分と違う人というのは、最初からものすごく遠ざけてしまう。最初から最後まで理解し合えないと思っている。
近い人は、ものすごく近い。根っこの部分までとことん共有する。
だから、共有できない部分が出てくると、びっくりする。
あ、そうだ、私と相手は違う人間なんだ。

苦手な人にもトライ

でも43年間も生きていると、そうは言ってられない。
近しい友達になれる人だけと話しているってわけにはいかない。どうしたって。
そして、トライしてみた。自分には苦手なタイプの人とも一緒にやってみようと。
でも、ダメだった。
友達になれない人とは一緒にプロジェクトをできない。
プロジェクトって、脳の共有だから。

仲間

以前、私たちは、さやかクリニックを移転するとき、あっこさんが、みんなにこんなこと言った。
「さやか先生は、理不尽です。変わり者です。振り回されます。でも、私は、さやかと一緒に社会を変えていくことにワクワクが止まらない。そんな理不尽で、変わり者のさやかと一緒にやっていきたい人は、がんばんべ〜ぜ。」
がんばんべ〜ぜ ってのは嘘だけど、そんなようなことを言ってた。
私は、その時、正直、びっくりした。
私って、変わってて、理不尽なんだ。と。
まじめに、理不尽ではないように、ルールを作ってやろうと思ってたから。でもそうしたら、ルールに振り回されている自分に気づいて、現状を破壊している自分がいた。もう、このままだと自分が自分でいられなくなる。
そうやって、理不尽な私を取り戻した。

ありのままの自分で良い

理不尽で、怒られると思ったら、そんなことなかった。
あっこさんの発言のお陰で
「私は理不尽です。」
なんて、堂々と言えるようになった。
理不尽だからって、許されないこともいっぱいあるんだけど、
「そっか、さやかさんは、理不尽だから、しょうがないか。」
お陰で、私は自分のペースを保てるようになった。
背伸びしなくて良くなった。
見えない不安に怯えなくて良くなった。

これから

私の課題

こんな、内気で理不尽な私は、夫の他に、親友と言えるのはあっこさんしかいないと思っていた。幼稚園生って言われても仕方ないのだけれど。
だから、あっこさんのことは何でも知りたいし、私のことを、何でも知ってもらいたい。そんな風に思っていた。
理不尽で、自由を好む私を許してくれる唯一の友達。

仲間が増える

ところが、そんな風に、あっこさんと一緒に、いろんなことを共有して、ワクワクと社会活動を計画していたら、仲間が増えた。
私たちの関係性を笑ってくれる新しい友達ができたのだ。
幼稚園生の私たちを温かく見守ってくれている仲間だ。
そうしたら、以前からずっと見守ってくれていた古き仲間たちの存在のありがたさにも気づいた。
私たちの、恐怖で固くなっている心を温かく溶かしてくくれた。

新しい仲間とのチームづくり

あっこさんにしか理解してもらえないと思っていたことを、他の仲間とも共有できると気づいたのだ。私は、自分の固定観念を書き換える必要がある。私は、変わり者で、なかなか人からは理解してもらえないという恐怖感があったのかもしれない。
新しいチームで、自分の内面を共有しながら、私は密かに決心した。
「私たちが本当の自分に還り、社会が本来の姿に還るお手伝いをするぞ。」

あっこさんと、喧嘩して良かったな。
私たち幼稚園生に仲間が加わった。
だけれど、私たちは変わらず、仲良しなんだから。
これから、私たちの新しい時代の幕開けだ。

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