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うまれた街へいく|会津日記



2024.8.4(日)

佐渡の虫崎、八重子さんの家で目ざめる。
起きたてでふらふらしながら、目の前の海へ足だけ入る。黒い魚たちが朝日ときらきら泳いでいる。
テラスで朝ごはんをいただいた。八重子さん、朝から手拭いあたまに巻いて、用意してくれた。
トマト、きゅうり、焼き魚、味噌汁、やわらかく炊いたごはん。
まさるさんといっしょに、八重子さん、ずっと手をふって見送ってくれた。するどい目なのに、どうしようもなくやわらかい人。善人とか聖母とかにむすびつけられるようなのでない、無私の人。
また会いたい。

両津港から、佐渡汽船に乗る。
柿の切って凍らせたのを、売店で買って溶けるまで待つ。
朝の売店の席は、朝ごはんの人たちでごった返す。
メニューはらーめんばっかりだから、どんぶりに入りそうなくらい顔を近づけて、あちこちですする音がする。

人もまばらになった頃、おそろいの黒いサンダルを履いた夫婦と、顔の似た三きょうだいが入ってくる。
いちばん小さな女の子は、やっと大人用の椅子に座れるようになったぐらいで、足を所在なげにぶらぶらさせる。お兄ちゃんふたりは、背筋をぴんぴん伸ばして、伏し目がちで黙ってカレーをたべた。
お父さんとお母さんの顔がそっくりで、控えめだけどきれいで、身なりがそつなくて、なんていうか、気取ってもいないのに、隙がない。それが、なぜか胸をしめつける。ほんの一秒だけ。
こういう家族がいるんだ。
子どものちいさい家族をみると考える。
この家族で育つこの子は、どんな子になるんだろう。いや、この家族で育つということはこの子に、どんな影響をあたえるだろう?

甲板にでる。潮風でべとべとになりたいし、ほぐされたい。
風に、もっていかれたい。
絹みたいな真っ青の海が、どこまでもひろがる。
日本海のなじみない青いろに囲まれて、ほっとする。
しらないもの、あたらしいものが無限にあること。ときに出会えること。今、出会っていること。
この青のなかにみんないる。

無数のかもめが、船といっしょにぐんぐんすすむ。
おじさんがかもめたちめがけて、慣れたようにかりかりせんべいを思いきり海に撒く。
船のお尻のあたりを飛ぶかもめは、風に身をまかせて、とつぜんへんな方に、へんなかっこうで飛んで行ったりする。

虫崎集落の海
佐渡汽船から


新潟港のマルシエは、休日の大にぎわい。
炎天下に、ちいさな囲炉裏で焼いた魚を求める人の列。魚たちはまっ逆さまにされて、口から竹串を吐いて、じいっと焼かれている。
行きとおなじに惣菜と野菜を買って、会津若松にむけて走りだす。
阿賀川のそばで、アリクイみたいに地面をつついてうろうろする、小さなクレーン車三台。
あれを丸ごとすくいあげて、クレーン車も工事も仕事も給料もない世界へつれていきたい。勝手なこと思う。

道の駅あがので、広げてたべる。
たらこと鮭のおむすび。塩辛いきのこのおひたし。スティック状になったスイカ。プラム。

会津若松に入ると、神明通りでお祭り。車から眺める。
西日が差して、みんな思い出の人みたいになっている。
警官の詰所で、口を真一文字にむすんだ若い人、腕ぐみしてうとうとしかけている人など、四人ならんでお雛様の五人囃子みたいにじっと座っている。

リオンドール。カワチ。ここでしか見たことない、店。ここにおばあちゃん、通った。
久しぶりの会津若松は、なんだか小さかった。
どの通りが、どこに繋がるか、育ってもいないのにだいたい知ってしまっていると気づいた。
こんな街だったか。よい、とござを敷いたみたいに真っ平で、山に囲まれて、ここで起きたことすべて、すごろくの盤目の上のこと、みたいで気が遠くなった。
ここで、おばあちゃんもおじいちゃんも生きた。
その前の人たちも、その前の前の人たちもみんな、ここにいた。

ヨークベニマルで、仏花のいちばんいいのと、線香のいちばん安いのを買う。
花は濃い青が入っているところがよかった。あとは白、黄色。レジに持っていくと、店員さんが「先のほう、少し切りますか?」と言った。
半音さがったような、力のぬけた低空飛行のような、フラットな言葉。
なつかしい音。

丘の墓地で、祖父母のお墓を探す。
むかし古墳だったという斜面一帯に、かぞえきれない家のお墓がならんで、街をみおろしている。
おなじ苗字をみつけて、おそるおそる裏や墓誌をみさせてもらうけど、なかなかみつからない。
汗がだらだら流れる。首が燃えるようにかゆい。
しばらく経って、人の気のないお墓があった。
墓石の裏へまわって、おじいちゃんの名まえと、昭和二十五年に建てたと書いてある。
あった。しばらくだれも来ていない気がした。
空いたペットボトルを水で満杯にして、墓石に水をかける。
白っぽい石がわずかに濡れて、冷やされていくとき、祖父母と会話できる気がする。
もう何年も、ここに来なかった。来たかったのに。
おじいちゃん、おばあちゃん、ごめんね。
もっと言いたいのは、いつもありがとうと、これからもお願いします。
もうここにいない人と話すとき、今まで生きてきた分がまるで嘘みたいに思う。

まっすぐすぎる道を南に、南にすすんで、芦ノ牧温泉へ。
田んぼをやさしく切り裂くように、夕暮れを走る。辺りの山々から霧がうまれて、所在なげにたゆたう。
山の懐へ迎え入れられるように、どんどん深い緑に囲まれていく。




2024.8.5(月)

朝、コンビニまで歩く。まだ、山のお腹に抱かれている気分。
もやの向こうに太陽がひっそりといる。沢のそばは、すこし空気がひんやりする。
宿のとなりに、大川荘。
ここに、いつかの雪深いときに来たことがある。会津美里のホームにいたおばあちゃんに、会いにいくため。
慣れない厚い雪に、雪国用ではない安もののブーツでざくざく踏みこんで、まだまだ足りぬと空からしきりに雪が舞って、べつの世界にきたみたいと浮かれていた。
祖母は元気だったし、元気そうにしていた。枕元におじいちゃんの写真を飾って、「みつおさんは、かっこいいべした」と高く笑った。
私でも噛みきれない硬いごませんべいを、ばりばりたべていた。ミニ冷蔵庫に、小さめのビールとバニラアイス。色つきめがねを「カモフラージュ」といって使っていた(皺を隠せるから)。お化粧も、毎日していた。
祖母は、98歳だった。

街道にでると、向こうから走ってくるごついライダーがこっちをじいっと見ながら通りすぎていった。
私は、しらない人から飛んでくる視線というのがとても苦手。けれど性分のせいで、じろじろ見られたりするときは目をそらすのではなく、きっと見返してしまう。

用事をすませて、金精神社というちいさな神社へ寄る。
参道で、両がわの家の犬たちがけたたましく鳴いた。
朝湯をしにいくと、木の枝に似た茶色いかまきりがお湯の底に立っている。生きているのかと思った。
木桶ですくってみると、とろとろにふやけてやっぱり死んでいた。

緑をかきわけて大内宿へついた。
土砂降りになる、ビーチサンダルに砂がじゃりじゃり入って、麻のすぼんの裾がぐっしょり濡れた。
そばだんご、味噌だんご、そばまんじゅう、納豆もち、味噌田楽を平らげたうえに、別の店で高遠そばまで頼んだ。生の一本ねぎは、辛くて齧れない。十割のおそばは、あっさりしてとても美味しかった。

塔のへつりへ寄り道。
吊り橋で、とんぼがずっとYの指にとまっていた。
みやげ物屋と、ふるいこけし屋をのぞく。
こけしの底に、作った人の名が書いてある。かずひろさんとすまこさん。こけしはしばらく棚に並んでいるようだった。
奥は工房になっている。削り出した木のこまかいのがそのままになっている。
こけしの役目はなんだろう。こけしの幸せについて考えた。
どこで、どのようにしてあれば、こけしは幸せだろう。



サービスエリアで休憩をはさみながら、夜にやっといすみに着いた。
今日から数日、留守にしている友だちの家に泊まる。
友だちはヤギやにわとりを飼っているので、そのちょっとしたお世話をしながら、できる範囲で近くを回ってみようと思う。

友だちがよく行くとおしえてくれた、中華屋さんがしまっていたので、近くの台湾料理で晩ごはん。
宴会に家族連れ、部活帰り、満席。
きゅうりと春雨サラダ、干し豆腐のサラダ、海鮮炒めをYと分ける。Yは坦々麺もたべた。







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Megumi Sekine 関根 愛
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