2022お楽しみ高松ツアー
連休の最終盤、四国は高松に行ってきた。短いながらも居住した高松から大阪に戻ってちょうど1年ほどだ。三宮での痛飲こと寝酒を経て、午前1時発のジャンボフェリーは5時過ぎに高松東港に入港。総歩行距離30キロ以上におよぶ旅が始まった。
シャトルバスで高松駅に到着、そこから徒歩で県庁裏のさか枝に向かう。商店街はいくらか空き店舗が増えた様相だ。オール明けと思しき若者に恐れをなしつつアーケードを出て、菊池寛通りを西へ。ここぞとばかりに丹下健三建築の県庁舎を見やりながら店に着くと、見事に不定休の日に当たってしまった。先が思いやられる。
時計を見れば、まだ7時。いくら高松とはいえ、週末のこの時間に開いている店は限られる。ぱっと頭に浮かんだのは南新町のさか枝だったが、地元の識者によると本店とは別物なのだという。とはいえ、背に腹は変えられないということで商店街に引き返していたところ、県庁の東向かいにこだわり麺やが営業していた。殊勝だ。かけ小とチキンカツ。これが今回唯一のうどんになった。
この日は男木島に渡る予定だった。8時の船はパスして、10時の便に乗ることにした。瓦町の快活CLUBで仮眠を取り、ことでんで高松港へ。深夜便のフェリーで早朝に到着すると、こういう出費が発生するのでなんともいえない気分になる。
新造なっためおんはたいへんな混雑だった。瀬戸芸の開催期間中だったからである。正直、ここまでの盛況とは思っておらず、ただ島に渡りたいだけの僕はモチベーションの低さを恥じた。周囲を見渡せば、ガイドブックでの予習に余念がない。きちんと瀬戸芸しているというわけだ。出港時、船が見えなくなるまで手を振り続けるボランティアのみなさんにも、同様の感情を抱いた。腱鞘炎が心配だ。
約40分のクルーズを終え、男木島に上陸。人口150人ほどで、モヒート専門家の島民の話によれば、その半数が島外からの移住者だという。7歳の少女に捕まり、キックボードのレクチャーを受けるなどするうちに、相当疲れてしまう。この島に暮らす人は全員が接客業、そういっても過言ではない歓待ぶりだ。急坂に張りつくような集落の間から、高松とは逆に瀬戸内海を南に望む。好天に恵まれたのは幸いだった。猫の島との評判があるはずだが、滞在中に見かけた猫は1匹のみ。それも飼い猫で、クロネコヤマトの配達員の方が目立つほどだった。
高松に戻って最初の用事は入浴だ。城東町の吉野湯を訪ねるも、恐るべきことにここも臨時休業だった。今回はそういう流れなのだろうと理解したところで、片原町の宿が日帰り温泉をやっていることを思い出す。めげずに進路を南西に取った。
善後策である四国高松温泉 ニューグランデみまつに到着すると、こちらはやっていた。先ほどの識者によれば、風呂のふちに老人が仰向けで寝ていることがあるらしい。幸か不幸か、僕はその回に当たらなかった。久しぶりの公衆浴場、久しぶりに見る男の裸体にビビったのであろうか、ものの15分ほどで入浴を終えた。
湯上がりであることをエクスキューズに向かったのは、高松でも数少ない立ち飲みのひとつ、澄酒だ。店主のすみちゃんとの再会を喜びつつ、初対面のお客さんにへらへらしつつ、当初の想定をオーバーして飲酒してしまった。川鶴に綾菊。酒どころではない讃岐の地酒をあおって店を出た。
あいさつまわりは続く。懇意の八百屋・サヌキスでズッキーニとコリンキー、フェヌグリークを購入。コリンキーはどこかで失くし、リュックに入れたフェヌグリークは帰阪まで終始、嗅覚に訴えかけることになる。コーヒールームミニではママの結構なお手前を拝観。ラジオからはヤクルト勝利の報。覚えていてくれたのがうれしかった。
次いで足を運んだのは芽論。立ち飲み続きだが、立てるうちに立っておこうという算段だ。夜は長い。店主夫妻に近況報告をしつつ、見知った面々と歓談する。なんとなく、高松での振る舞い方が思い出されてくる。終盤には神戸から単身赴任している大学の大先輩が来店。おみやげのパイをワイルドにむさぼり、際どい下ネタを連発するあたり、バンカラな校風を体現しすぎではなかろうか。相変わらずのようで変に安心した。
高松シティホテルへの道中で友人と遭遇し、チェックインを済ませ、この日のメインイベントであるところの福田町・おきるへ。コースのみの店は、使用する食材の100%が県産品というからビビる。先ほど来、話題に上がっている識者とテーブルを囲み、各種オリーブ肉、さぬきのめざめ、そうめん等々をかっ食らう。飲み放題だからというわけではないけれど、いつも以上にピッチが速い。酒の飲めない酒飲みは始末が悪い。とはいえ、こうして管を巻けるのが幸いだ。待ち合わていたかつての勤務先のフードアナリストからアスパラそうめんを受け取るミッションも完遂し、夜の街へ。ごちそうになっちゃってすみませんでした。出世します。
高松随一の歓楽街・古馬場への道すがら、瓦町のおでん ゆうを覗き見。夕方に会った友人がこの店で会食をしていると聞いたからだ。身をかがめてのれんの向こうを見れば、高松でよく遊んでいた人々が集結しており、当然のことながら入店。このへんからいよいよ記憶が怪しくなってくる。
とはいえ、もう少し粘りたい。意を決して古馬場に急行、帰宅手段を失った高松市民を幾度となく救済してきたであろうバー・カンクンの扉を叩き、また別の友人と合流した。ここのモスコミュールは特筆すべきものがあって、もうなんだかいろいろの悩みなどどうでもよくなってくる。瓦町のヌーヴェルヴァーグという店もハイボールがやたらにうまいのだけど、これはいったいどういう仕組みなのか。ここでもゴチになってしまい、その日はホテルの風呂場で寝た。
しっかりとアルコールが残った状態で起床し、チェックアウトギリギリまで粘ったうえで街へ。田町のグレコでは単品のコーヒーのみをオーダーした。このあと、寿司を食べる予定があったからだ。商店街を右へ左へうろうろしながら、サンポートへ。かつて取材した77歳理系農家と偶然にも再会し、四国物産の店ではビールと国道11号のステッカーを購入、屋島を見ながら待ち合わせの時間を待った。
13時過ぎ、立喰い寿司 七幸で友人と合流。元気巻、すっきり巻、ふしぎ巻といった意欲作からは元気巻と大名巻をセレクトし、高松在住時にはできなかったような話で盛り上がる。お互いにいろいろ苦労はありますよね、ね。
元気巻でしっかり元気になり、帰りのバスまで時間があるのでサンポートで延長戦を戦うことに。こういうことができるのが、ある意味でこうならざるを得ないのが、高松住まいの特権だと思う。ひとしきり酒をあおり、早々の再会を誓い、どんな変換ソフトでも最初は「吹っ飛ばす」と変換される高速バスこと、フットバスに乗り込んだ。目が覚めると、徳島も淡路島もとうに過ぎており、バスは阪神高速を快調に飛ばしていた。感傷とは無縁の旅が、まさに終わるところだった。
怒涛の2日間を終えた翌日、僕の目の前に上等カレーがサーブされた。大阪に帰ってきた事実を、これまでかとばかり意識づけるための儀式を終え、日常が戻ってくるのであった。
この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?