“総天然色尻カタログ”を操る男
やむにやまれぬ理由から、生まれて初めて肛門科を受診した。具体的にどこがどうなっていたかは伏せるが、自転車にまたがれないほどの痛みにさいなまれていたのである。無論、長時間にわたり原稿に向かうことなどできない。とはいえ、ここで筆を折るようなことがあっては、おまんまにありつけなくなってしまう。同居人の勧めに従い、重い腰を上げた。腰を上げるにしても「ああでもない、こうでもない」とフォームを工夫しないと、患部に激痛が走る体たらくだった。
人生初の肛門科は、電車で10分ほどのところにあった。本来であれば自転車、いや、徒歩で訪れてもおかしくない距離感だ。拍子抜けするほど短い待ち時間に決意を固めきれぬまま診察室に通されると、中年の男性医師が迎えてくれた。こちらにはあまり目を合わさぬものの、その眼光はキリリと鋭い。これは信頼できる――診るべきは、向き合うべきは、加療すべきは尻であるとの覚悟を持つ傑物のみが醸し出せるオーラのようなものに圧倒されながら、僕はそう直感した。
医師はさっそく『コロコロコミック』もかくやという症例集を取り出す。そして、ピンク色が誌面を埋め尽くす、いわば「総天然色尻カタログ」のごとき書籍を手に「年齢的にこれではない」「痛みの生ずる部分を考えればこれでもない」と、的確無比に目星をつけていく。怜悧な印象を抱かせる眼力も相まって、その姿はスナイパーさながらだった。おおよその見当がついたと見えたところで起立をうながされ、手早くズボンとパンツを下ろしてベッドに身を横たえた。視線の高さには内視鏡の映像を映すモニターがあり、看護師からは「よかったら見てくださいね」の声。「よかったらってなんやねん」と、思わず噴き出しそうになった。
そこからの処置は早かった。医師は手際よく内視鏡を操り、直腸側に問題がないことを確認。痛みの原因たる嚢胞を認めるやささっとメスを入れ、体感15分ほどで施術は終了した。飛び込みでの診察にもかかわらず、すでに痛みは和らいでいる。やはり、診察室に入ったときの直感に誤りはなかったのだ。何百、何千の尻と対峙してきた男は、どこか涼しげな表情を浮かべていたように思う。
驚くべきは昨年来、日常生活に大いなる支障を来していた断続的断末魔的しゃっくり禍をも鎮めてみせたことだ。
受診当日もしゃっくりが出ていたのだが、麻酔が効いているのに乗じて臀部に筋肉注射をぶち込み、当座の苦しみから解放してくれた。のみならず、薬の処方を従前のものから変更。肛門科にかかって1ヶ月弱が経つが、しゃっくりが出そうな兆候を感じることはあっても、本格化するようなことは一度もない。まさか肛門科のセカンドオピニオンが、数日間続くこともざらだったしゃっくり地獄に切り込むとは思いもしなかった。
そうして先日、4回にわたる通院を経て、すなわち4回にわたる尻のご開陳を経て、僕は無罪放免の身となった。この時点において、完全無ケツの名医に対する信頼は確たるものとなっており、診察室を出る際は一抹の寂しささえ感じた。とはいえ毎日、数々の尻を見つめ続ける男からすれば、なんのことはない処置の一環だったろう。初対面のときと変わらぬ鋭い視線、そしてどこかシャイな笑顔に背中を押されて、僕は肛門科を後にした。けがの功名を地でいく体験となった。