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しゃっくりがせこすぎて '23〜'24

昨年の終盤から、断続的にしゃっくりが襲ってくるようになった。100回続くと死ぬというようなことはさらさらなく、一度始まると3〜4時間は長引く状況で、いっそ殺してくれる方が楽ではと思えるほどの責め苦を味わうことになった。理由は判然としない。妊婦もかくやという貧血で精密検査が必要と判断され、胃カメラを飲んで以降の出来事ということくらいしか思い当たるフシがない。

しゃっくりに関する表現手法は否が応にも向上した。通常の「ヒック」を1単位、すなわちシングルと表現するならば、「ヒックヒック」はダブル、「ヒックヒクヒク」はトリプルとなるだろう。それらに加え、さらにひどいときには「ヒックヒックヒクヒク」のクアドラプルまで飛び出した。クアドラプルを成功させたうえで一時的に息の吐き出しが困難に陥り、「ヒーッ!」というロングトーンを決める離れ業も習得した。濁音混じりのしゃっくりも放てるようになった。ここまで来るともはや技巧派の域である。

幸いにして年末年始の宴席シーズンには我が横隔膜も空気を読んだのか、しゃっくりが慢性化するような事態は訪れなかった。アルコールに炭酸はまずもってのどに刺激を与え、横隔膜のけいれんを喚起するそうだが、それでも我が咽頭は耐え難きを耐え、忍び難きを忍んだうえで年頭にして本年最大のミッションたる婚姻届提出の任を果たした。この時点で気は完全に緩み、しゃっくり禍が再燃するようなイメージなど微塵もなかったと思う。

ところが先月、連れ合いと徳島に出かけた折にしゃっくりがぶり返した。やはりなかなか止まらなかったが、軽いものだったので気にも留めず車を走らせていた。タワー式駐車場の利用に際して、管理人の高齢女性に向かいの平面駐車場を使えと命ぜられ、やたらせわしなくも具体的、従わぬ限りはこの土地を使わせんとばかりの熱烈誘導で、見事テンパる程度の心のゆとりはあった。アクセルの踏み込み具合、ハンドルの切り方、ブレーキのタイミングに至るまで。よそ者を意のままに操ろうとする彼女の言葉は、四半期に一度しか運転席に座らないがゆえ、安全のうえに安全を塗り重ねる僕を混乱させるにじゅうぶんすぎるものだった。ただ、テンパっている自らを「テンパってんな〜」と自覚できるうちは、まだまだテンパり具合が足らないのだということを、いまとなっては痛感している。

熱烈指導オババのもとを離れ、昼食も済ませて再び車を走らせた僕は、1時間も経たぬうちに変化を感じ取った。しゃっくりが目に見えて悪化し、引きつけや発作のような段階にまで進展している。しゃっくりに起因する前後運動が明らかに大きくなっている。連れ合いがこのまま運転を継続するのは危険と判断し、その勧めに従って偶然通りかかった交番に車を停めた。

その場で警察を、救急車を呼んだ。しゃっくりで救急要請をするようなことがあろうとは、我ながら考えてもみなかった。しゃっくりとしゃっくりの間には、「ゼエゼエ」「ヒイヒイ」と息切れも混じり、壊れたモジュラーシンセのようになっていた。救急隊員の人や医師からは「どこがせこいん?」「せこかったなぁ」との言葉が。阿波弁の「せこい」が「苦しい」を意味すると初めて知った。すぐ隣の高松に住んでいたのに、言葉とは難しいものである。ともあれ「せこさ」へのケアは、先ほどの熱烈指導オババと同じく吉野川の水を飲んでいるとは思えないほど、慈悲深いものだった。

それにしても、確かにあれはせこい体験だった。点滴治療を受けてせこさは底を打ったが、大事を取って日帰りの予定を変更し現地泊に。急遽予約したホテルはその日、徳島公演を打ったというポルノグラフィティのファンであふれ返っていた。投薬のかいあって翌朝もしゃっくりがぶり返すようなことはなく、仕事の締め切りとレンタカーの返却時間のみをストレッサーに、淡路島経由で無事に帰阪。そこからしばらくは、大型しゃっくり案件にさいなまれるようなこともなく、ほどほどに平穏無事な日々を過ごした。

ところが、つい3日前にも救急車を呼ぶほどのしゃっくり騒ぎを起こしてしまった。ベッドに体を横たえても、けいれんのたびに体が「く」の字に曲がり、呼吸も浅い。軽く嘔吐もした。とはいえ、しゃっくりごときに身もだえする35歳男性に夜間搬送先が見つかるはずもなく、その日は無理やりソファで寝た。嘔吐で窒息死することはなかった。

さすがにこのままではいけないと思い、次の日のうちにかかりつけ医に紹介状を書いてもらい、総合病院へ。CT、血液、心電図、レントゲンとひと通りの検査を受けて出た診断は、経過観察の条件つきながら心因性とのことだった。平素の飲酒行動との関連を疑っていただけに、これは拍子抜けだった。(頼まれずとも)人一倍気持ちをすり減らす、取り越し苦労の多い人生も30年を超えると、こういうせこい結果を招くのだろうか。

いま、僕の手元にはコロナのアーリーアダプターとして入院した高松赤十字病院、そして今回の徳島市民病院の診察券がある。いずれもせこさの対価である。釈然としない思いは変わらないが、残すところ松山と高知の2枚で四国4県における基幹病院の診察券をコンプリートできる身になったのであった。

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