見出し画像

補欠でも楽しいかどうかは子供自身が決める

野球の練習試合が少しずつ増えてきた。公式戦もそろそろ始まる。

試合になると気になり出すのが、レギュラーになれるかどうか、だ。スポーツは基本的に勝ち負けの世界で、どうしても実力が影響する。

そして我が家の息子たちは、ここしばらくレギュラーの座から縁遠い生活を送っている。

私は時々、レギュラーじゃないと楽しくないんじゃないか、心が折れるんじゃないかと心配してしまうのだが、そんな時は自分の補欠時代を思い返している。

私自身が3年間補欠だった

私は小学校4年生からミニバスケット部に入った。

背が小さくて細かったため、高さもパワーも負けていて、さらに自己肯定感も低くてシュートを自信を持って打つことができなかった。当然レギュラーになれる訳もなく、3年間ずっと補欠だった。

試合に出られなくても楽しかった

ミニバスの練習は厳しくて、みんなでヒーヒー言いながら耐える毎日。

そんな中、土日にお弁当をみんなでワイワイ食べるのが数少ない楽しみの一つだった。レモンの砂糖漬けを誰かが持ってきて、みんなで分け合ったり、飲み物を交換したり(当時はコップ付きの水筒が主流だったので、飲み物交換が気楽にできた)、束の間の休息をワイワイ楽しんでいた。

そんな時間があったからなのか、うちのチームはレギュラーだからとか、学年が上だからみたいなマウンティングは不思議なほどなく、いつもみんな仲良くて、キツイ練習に耐えながらチームは団結していった。私も毎日休まず練習に通った。

6年生になった時、先生は私に「休まずによく頑張ってるな」と、補欠の中で一番若い番号をくれた。

下手でも存在を認めてもらえたみたいで、すごく嬉しかったのを覚えている。最後まで公式戦にはほとんど出られなかったけど、自分にできることで役に立とうと声出しやボール拾いをし、スコアの付け方も覚えた。

本当にいいチームだったら、そこは大切な場所になる

6年生の時、チームは市の大会で優勝した。

試合に出てないから私には関係ないなんて全く思わず、みんなと一緒に飛び跳ねて喜んだ。大好きな仲間たちが必死に戦う姿はすごくカッコ良くて、そんなチームにいられたことが誇らしかった。

だから、子供にとって本当に良いチームだったら、たとえ補欠でも子供にとってかけがえのない大切な場所になる。私は自分の経験からそう思い、補欠の息子たちを見ていて迷いが起きた時はこの経験を思い出すようにしている。

おまけ

息子たちの本心は正直言ってわからない。でも、休まずに通おうとする息子たちを見ていると、そこはきっと大切な場所になっているのだと思う。

親としては、試合の時はベンチにいる息子が何をしているのかしっかり見てあげることくらいしかできない。

だからできるだけ応援に行き、「バット引きのタイミングよかったな」とか「声出ししっかりできるようになってきた」「ランコー上手くなったじゃん」など良かったところを見つけ、心にそっとしまって帰る。自宅に帰った子供が元気なさそうな時はそれを思い出して褒めて、励ます。

母の私にできるのは、今いる場所に息子たちが自信を持っていられるようにサポートすることだけだ。そして、子供がもし限界を迎えてしまった時、素直に気持ちを吐き出せる場所でありたいと思う。






野球好きな母が日々感じたことを綴ってます。何かのお役に立てたら幸いです。