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あとがき:マノーリンはかもめの夢をみる


子どもだった頃、文庫本の小説の最後に収録されているあとがきを読むのが好きだった。そこには、小説家が作品を執筆し終えた安堵や達成感が吐露されていたり、執筆中のエピソードが暴露されていたり、次作への意気込みが述べられたりしていて、それはまるで、小説家が僕にこっそり打ち明け話をしてくれているようだった。その、言葉のひそやかさや脱力感が、僕は好きだった。。
 僕も時々小説を書くようになって、このnoteにいくつか収めてあるけれど、あとがきを書いたことはなかった。どれも、その時々の全力を振り絞って書いたが、でも今回は、それまでとはちょっと違う全力を発揮したので、そのことをあとがきとして書き残しておくことにしようと思う。

昨年の春、僕は突然、強烈な倦怠感に襲われた。すぐに受診したが、何を検査しても決定的な診断にいたらない。仕事を休んで入院までしたけど、なかなか問題は解決せず、大病院をふたつまわった後に紹介された漢方医の先生から「慢性疲労症候群」という症名を頂くまで半年かかった。
 この慢性疲労症候群というやつ、いま流行りのコロナ後遺症に似ている。僕がコロナに感染したのかどうかは、発熱等の症状がなかったので分からないが、強烈な倦怠感が毎日続くという点ではまったく同じ。そして、僕を一番苦しめたのが、ブレインフォグという症状。
 とにかく、思考がはっきりしない。記憶力も著しく低下する。集中できない。特に、文章を読んだり書いたりするのが難儀で、そのせいで一般的な仕事は何もできない。
 僕は、その時務めていた職場を秋には辞さざるをえなかった。9月末のことである。
 迎えた失意の10月。体はまともに動かないし、脳みそも機能していない。なのに僕は、どういうわけかその時、「小説を書こう」とまず思った。この「マノーリンはかもめの夢をみる」の構想を練るために、芥川龍之介の「トロッコ」を分析したメモには、無職になった10月初旬の日付がメモされている。
 記憶力も判断力も集中力もないので、時間はたっぷりかけているのに、作業は全然進まない。一ヶ月かけてストーリーのおおまかな骨格をつくり、さらに一ヶ月かけて草稿の下書きをした。そこからさらにアイデアを追加し、プロットを練り直し、二度目の下書きをし、もう一度ストーリーを作り直して、三度目の下書き・・・。気がつけば、春になっていた。
 不思議と、諦める気にはならなかった。どうせ他にやりたいこともやれることもない。三度目の下書きの時に、ヘミングウェイの「老人と海」のモチーフを取り入れたのをきっかけに、タイトルを思いついた。で、次が本書きになる、と予感した。
 春、コロナの第6波がようやく収束に向かっていた頃だ。このとき、僕の体はやや回復傾向ではあったが、まだ倦怠感の症状はひどかった。もちろんブレインフォグにも悩まされていた。しかし、この小説を書き始めた頃からお世話になりはじめた漢方医の先生に、ブレインフォグにはアレルギーの薬が効くからと処方され、そこで状況が変わった。もらったアレルギー薬を服用すると、倦怠感はそのままだったけれど、ブレインフォグは、風が霧を吹き払うように消え去った。
 5月から新しい仕事に就き、その隙間の時間を使って本書きを進めた。7月に書き上がり、少し寝かせてから推敲して、仕上げたのが9月。原稿用紙にして百枚強の「マノーリンはかもめの夢をみる」は、執筆開始から11ヶ月で完成した。

苦しかった、と言うべきなのかもしれない。大変だったのは確かだ。しかし、書きながら僕が苦しみぬいていたのかと問われて肯いたなら、それは嘘になる。むしろ、楽しかった。いや、楽しかったというか、「こんな体と脳みそでも、僕は小説が書ける」という状況に呆れ、それがなんだか可笑しかった。
 症状は改善に向かっている。今は、薬の量を少しずつ減らしているところだ。先だって、薬の量をいきなり半分にしたら辛くて、「やっぱり少しずつ減らしましょう」と先生と相談して決めた。まだ薬を手放せるところまではきていない。ブレインフォグを抑えていたアレルギー薬は、やめている。やめてすぐは、集中力のなさを感じていたが、近頃はそれも少し改善してきている実感がある。
 そして今、次は何を書こうか、って胸を躍らせている。

小説に限らず、何かを表現することは、僕の楽しみだ。音楽をやったり、写真を撮ったり、言葉を書き綴ったり、節操なくあれもこれもやっているけれど、どれも楽しい。楽しいことは、多少苦しくてもできるし、やろうって気になれる。この一年半ほどの経験で僕は、それを再確認できた。病気はいいきっかけになったと思う。この「マノーリンはかもめの夢をみる」という小説は、僕にとって大切なものになるだろう。これは、僕のまったく個人的な思い入れにすぎなくて、読んでくれる人にとってはどうでもいいことに違いないが、僕にとっては大きな経験だった。
 とにかく。そういう訳で僕は、あとがきを書く気になった。だから、書いた。このあとがきと、「マノーリンはかもめの夢をみる」という小説を読む人がいるのかどうか、僕には分からないが、もし読んでくれたなら、心の底から感謝する。ありがとう。


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