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生きる自由と、インボイスとやら(タクシー編)

去年の10月からインボイス制度という名のもとに領収書には(消費税)納税者の登録番号が記されるようになった。ぼくは消費税免税事業者を維持するので登録番号は持てず、その制度には不参加ということに。

それまで、個人タクシーのほとんどの事業者は売上額が一千万円以下なため消費税は免税となっていた。
が、タクシー料金を経費として処理する場合、この登録番号がないと適格領収書とみなされず、それがないタクシーには「乗らないように」と経理から指示が出たりすることが予想され(実際にそうなった)、各個人タクシー事業者は損得を考え、消費税を支払うことを選ぶに至った。

それでも消費税は払いたくないという事業者はまだかなりいたが、各個人タクシー協同組合は、無線の配車やタクシーチケット、クレジットカードなどの決済の関係上、統一していないと都合が悪く、免税事業者として続ける場合は、屋根の上のランプやボディのカラーリングは使用できないとし、キャッシュレスの換金などもしない、とした。
結果、東京の個人タクシーはほぼ全ての事業者が消費税納税者としての道を自動的に進むことになり、ぼくはいつものように超少数派の事業者となってしまった。もう何年も前からわかっていたことではあった。


ある一つの団体はこんなふうに区別をした。


          ☆

……なんかエラそうに言っているけど、実はぼくはこの制度の細かい所はわかっていなくて、深い理由やいろいろな各所への影響などは詳しく調べていない。まあ無責任といわれれば返す言葉もない。

ただぼくは、制度に反対するつもりはあまりなく、タイミングを見て参加しようと思っている。要は、制度自体への不満なのではなくて、制度への従わせ方に我慢ができなくて多数が進む道からそれただけなので、とりあえず役所の権力の思惑通りに進まず、それによっての影響を肌で感じられればいいし、そのあとは自分の意志で合流できれば、それでもう満足なのである。

ぼくにとって消費税を納めるようになることはそれほど重要ではなく、正直な話、いっそ「これからは免税しません」と言ってくれたらどんなに楽であったか。
「消費税分をもらっといて納めないなんて!」なんて声に対しては、去年の料金改定の時に、みんなより5パーセントほど安くした。タクシー料金は運輸局の認可が必要であるためそれが精いっぱいだった。まあ、当面の軽減措置や消費税は経費処理できるので、もろもろ、ぼくは決して得してはいないし、いろいろな心配を抱えての仕事はマイナス面が多いだろう。

そもそも、それまでだって利用者から消費税を預かっているなんて意識はなく、消費税の導入のタイミングでは「売り上げの少ない事業者さんにはかかりませんからねぇ~」なんて名目で始まった税制度だった。だから当初個人タクシーは会社でやっているタクシーより少し安くしたんだけど、利用者が個人タクシーに偏ってしまったことがあって、タクシー会社の抗議から同じ料金にそろえたという経緯がある。
タクシーの料金は公共料金みたいところがあって決まってしまっているから、内税として無理やり消費税が入り込んできて、そして膨らんで現在に至るが、建前としての免税事業者という立場が、いつの間にか、利用者から預かった消費税を着服しているような立場になってしまった。
政治家や役所の人間が、聞こえのいいフレーズばかり並べて、でも現実はそうではなかった、といういい例だったのかもしれない。

         ☆

で、実際にインボイス制度が始まってみると、案外みんな関心が少ないのか、あまり弊害なく営業ができた。

スタートから4か月で、インボイスについて指摘されたのは7回。
「会社からは番号の入っていない領収書はダメだと言われているけど、今回はプライベートだから大丈夫」という人が2人、「うちの会社は別に平気みたいだよ」という人が2人、インボイス対応領収書があるか確認したうえで乗車して「対応しないとダメですよ」などと長々と講釈をした人が2人、降り際に領収書を確認し、登録番号のないことにあからさまに憤り、まるで犯罪者のように扱われたのが1人だった。

まあ、これといって案内など表示していないこともあったろう。
けど、ぼくのタクシーの領収書は別に不正なわけではなく、免税事業者というだけだ。経理上の処理は別になってしまうが、交通費や交際費としてちゃんと計上できるはず。内消費税の割合がどうのとかは別に総額は安いし、まあそんなこんなで案内は出さずにこのまま営業するつもりだ。

とはいえ、引け目を感じたままの営業は狭っ苦しいものだし、営業する場所や時間に制限ができたりもするので、できるだけ早急にインボイス登録番号の取得に動きたい。今回の確定申告に行ったタイミングかな。

         ☆

自分ながら、なんとも面倒くさい性格だとは思うけど、こう手続きしないと生きている気がしないのでしょうがない。
「免税事業者のままでいるのは自由」とうたいながら強制的にそう誘導されるってのは「自由」というもの自体を否定されているように感じてしまうし、操作されるがまま動かされるロボットみたいなものだ。と思えてしまうんだから。

メキシコでは流しのタクシーのことを「リブレ libre(自由、無料、フリー)」と呼ぶ。いろいろなニュアンスがあるんだろうと思うが、ぼくには「自由」ということばかりが頭に浮かぶ。利用者から見れば危険というイメージが強いところだけど、タクシー運転手として眺めると、呑気な自由さが伝わってくるのだ。
今はウーバーとかの配車システムが浸透して、さぞ思うように仕事ができなくなったろうと想像できる。その数だってかなり減っていると思われるが、まあ自業自得だ。けど、思うようにならないからこそ「自由」なんだとぼくは思う。決まりきった結果の中で自由は得られないってものだ。

日本でもアプリ配車が盛んになってきた。お客さんが乗った時点で降りる場所まで決まっていたりもするし、コースだってあらかじめ伝えられたり、もちろん支払いも降車が確定し次第に決済も済んでいる。これから先運転手はただ機械のように運転すればいいって時代もいずれ訪れるだろう。人間が運転する必要もなくなりそうだし。

でもまだまだ日本には流し営業は生き残っている。特にぼくはフリーな個人タクシーで、歩調を合わせなくてならない団体にも所属していない。まあ、好き勝手にできるってわけでは決してないけど、自分の意志に従って自由に仕事をさせてもらっている。

手をあげているお客さんは、どんな人かはわからない。
まあ、常識というものが存在してくれているから、ほとんどのお客さんは何事もなく普通に乗車して降車していく。でも、「何事もない」という約束はされてないからトラブルもあればとてもうれしいことだって不意に起こる。

去年、金曜の夜中の一時ころ、電車がなくなったこの時間はタクシー乗り場にはよく列ができる。銀座でのことだった。
そこへ行くと、たくさんお客さんが並んでるのに先頭のタクシーが動かず、で、並んでるお客さんじゃなく、そのタクシーから22、3歳くらいの女の子がフラフラ酔っ払い状態で降りてきて、ぼくのタクシーに向かって来た。

「アカカチチチョウ、サン、サンジュウチチ」とかと早口で。

まあ住所を言ってるっぽくて、明石町(7、8分くらいのとこ)と感じとれたので、落ち着かせてもう一度確認して、ナビに入れて進行した。

「どうしたの?さっきのタクシー」と聞くと、「何言ってるかわからないってぇ!」と降ろされたようだった。
泥酔に近い状態なのに、なめられないように毅然と住所を言おうとした結果、なおさらヘンな言葉になっちゃってて、まあ、女一人でタクシーに乗るときって、けっこう対決姿勢なものなんですよ。

すその広がったミニの赤いワンピースで背中は大きくあいていて、水商売だろうけどファッションモデルような美女面で、で、乗った瞬間少し吐いたにおいがして、経験上、ゲロ吐いたり寝てしまって起きないとかのトラブルの予感がした。

寝込まないように、「吐きそうになったら言ってね」「(お客さんから)タクシー代ちゃんともらったの?」とかいろいろ話しかけて、意識を継続してもらうように図った。まあわりといい子で、しょっちゅう飲まされてベロベロになっちゃうとかだった。

くったくのない女の子で、明るく会話して、ラインのQRコードとかも読み込まされたり、まあ順調だった。でも途中、2回「ちょっと止めて、、」と言いかけたので、まあ注意はそらさなかった。

ナビ通り大きなマンションの前に着いて、カードで支払うというので入力して暗証番号を打つように端末を手渡すが、酔っぱらってて上手く押せなくて何度もエラーをだして、すると突然、「もう、、ドア開けて!」と。

首だけ出して吐くと必ず車の中も汚すから、「完全に外へ出て吐いて!」というと、もうこっちの言葉なんて関係なく、ヨロヨロしながら外へ出て行った。ぼくは、外で暗証番号を打ってもらう準備をして、ウエットティッシュとかも用意して、外へ。

すると、建物のわきのツツジの植え込みの奥でその子が倒れてて、慌てて近寄ると立ち上がろうとしてるから、手を貸して、立ち上がるけど、またツツジの奥へ行こうとする。
枝とかも出てるし、土にヒールだからまた転ぶし危ないから、引き戻して、「こっちでしなよ」と言うと、「恥ずかしい」なんて言って、でももう夜中で人けもないし、とにかく薄着だし枝とか地面から突き出たものとかでケガしそうだから、「それくらい大丈夫だからココでしな」なんて引っ張り合いの押し問答していた。

と突然、「もう漏れちゃう!」といい、お尻をペロンと出して、その場にしゃがみこんだ! 

「なんだオシッコだったのぉ!!」

とは言ったものの、どう対処していいか浮かばず、くるっと逆をむいて、「よし、オッサンが誰か来ないように見張ってるから!」なんてわけのわからないことを言って終わるまで待った。

わからなかったからとはいえ、恥ずかしがる女の子に向かって、「恥ずかしがることないから、ここでしなさい」なんて恐ろしいことを言ってた自分を思うと、背筋がゾッとした。

まあでも、くったくのない女の子で、し終わるとまた明るく戻って、で車に戻ろうとするから、なんかまた車に入ると汚れてそうな気がして、それを阻止しようとすると無理やり乗り込んできて、客席で隣同士で仲良く無事カード決済をすまして、外へ出て行った。

すまし顔でマンションへ向かう女の子は、パンツをあげるときにスカートも一緒に巻き込んでて、Tバックだったからお尻丸出しで、ぼくは写真を撮ることも忘れて、見入ってしまった。

で、何かあってはいけないと、すぐに一度読みこんだラインのQRコードを削除したんだけど、その子の「もぐら先生」というラインネームに少しセンスを感じ、同時に、日本は相変わらず、平和だなぁとつくづく思えた。

          ☆

人生とは、先が決まっていないからこそ面白い。
というか、決められていたらそれは「生きている」とはいえないんじゃないだろうか。

とはいっても、生きるためには食べていかなくてはならないし、社会とはうまく付き合っていかなければならない。一人で生きていけるわけでは絶対ないから他人とも歩調を合わせなければいけないし、何らかの制限があってこそ、その中に自由は生まれるってものだ。

とりあえず「インボイス制度に参加しなかった」ということでぼくの自由は保たれた。でも、これでやっとみんなと同じ歩みをすることができるとホッとしている。なんかちょっと、待ち遠しいとすら思えるほどだ。

生きることとは、即ち「自由である」ということだけど、それを得るのは、実に不自由なものである。

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