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タクシー運転手の note


元々は、白

「どうしてこんな色なの? 珍しいよね」などと聞かれ、「コロナの最中つまんなかったもので」などと答えて、こんな会話を判子で押したように何度も繰り返しているが、まあ、こちらにとっては何度もだけど、お客さんには一度目なんだから、別にいいかな。
概ねみんなポジティブに捉えてくれているっぽいし、それきっかけで話はいろいろな方向に始まるから、こんな色にして本当によかったと思っている。

小さく、静かな、始まり

令和二年四月、所属していた個人タクシーの共同組合から脱退して、ある程度束縛を受けない自由な個人タクシーとして独立した。新型コロナウイルス感染症の蔓延による一回目の緊急事態宣言が出された、まさにその月だった。半年前に届け出をしてのことだったし、ずっと以前から計画してのことで、そんな事態が起こるなんて思ってもなかったから、そのタイミングの悪さには自分でもびっくりだった。
しかし、あれから三年が経ち、以前の通常がようやく見えつつある今、紆余曲折の末たどり着いた自分の乗るタクシーの姿としては、なかなか気に入っている。

最初は屋根の上だけに

はじめの一年は、まったく仕事にならなかった。でもせっかく独立したのだから独自のタクシーを目指し、まずは車の屋根の上のランプを新調した。絵は名のあるイラストレーターに頼み込んで格安で描いてもらった。知り合って間もない人だったが、ダメ元で言ってみたら、何故か、受けてくださった。図々しく値段までこちらでつけてしまったというのに。
もちろん、気に入った。取り付けると、胸が高鳴った。しかし、街はしんと静まり返っていて反応がなく、物足りなかった。でも、それを初めて目にした時に覚えたあの高鳴りは、ラヴェルのボレロがスタートした時の、その小さな始まりに対してだった気がする。

長引いたけども


毎日入れ替え
ちょっと大き過ぎた

二年目に入ると、時折街には規制が掛けられたりもしたが、少しずつ街は回復してきた。まだまだコロナ前には程遠いが、少し心に余裕が出てきた。
で、次に目を付けたのが車室の独自性だった。長くなるので理由は端折るが、何故か家には専門店ができるほどのぬいぐるみがあって、だからほぼ毎日、日替わりで、花を生けるように車内のどこかに飾ってみた。一日限りはもったいないから、今まで触ったこともなかったツイッターをわざわざ始めて、そこに載せたりもした。

ハロウィンの時には「ぬいぐるみパラダイス」などと名付けて調子に乗ってもみた。もちろん、仕事が第一だし、タクシーの利用者はそんなものを求めていないことも、しっかり念頭において。だから、お客さんとは盛り上がることもあったが、居たたまれない気持ちもしっかりと味あわせてもらった。

タクシー乗り場で待っていて、若いカップルがやって来て、二人はしんみりと別れを惜しんでいて、女の子だけが乗って男は手を振って見送る。で、ドアが閉まる間際に男は、「すげぇタクシーだなこりゃ……」ともらし、女の子は行き先を告げるなり降りるまで無言だった。言い訳などできない雰囲気の中、「居たたまれない」とはこういう時間のことをいうんだな、とつくづく思いながらの運転はつらかった。
でもそうして、そんなこんなで、通常の毎日は、仕事は、着々と戻っていった。

ようやく見えてきた通常の中で

三年目に入っても、まだ街には規制が掛ったりした。
客席では、「〇回目のワクチンもう打った?」が合言葉のように交わされ、「今回は熱が出なかったよ」「腕が上がらないや」などという会話が半ばうれしそうにさえ聞こえてきた。人々は当初のあの恐怖をなんとか切り抜けて、「常識とどう付き合っていけばいいのか」という課題に移ったようにぼくには見えた。まだまだ仕事にはならなかったけど、深刻な顔をしたお客さんはもう見なくなった。


車庫にて色変えラッピング作業

通常の仕事まであと一息だと感じて、何故か、無性に車体の色を変えたくなった。せき立てられるようにネットを漁り、カーラッピングという塩ビのフィルムを貼る手法を知り、で、安上がりに済ますために自分で作業をすることにした。YouTubeでやり方を勉強して、格安のアウトレット品を探し、仕事に影響が出ないように、営業しながら部分的に進めた。
いろいろな経緯があったけど、メインの色はコーラルピンクというのに。オレンジと呼ぶ人もいればピンクとも言われるし、人それぞれの捉え方、光の加減によっても異なっていて、「この色は何色ですか?」と尋ねる人も。でも、反応は想像以上だった!


タクシー乗り場からのお客さんが、「順番が来て、このタクシーが来た時ね、むっちゃテンションが上がりましたよ!」とうれしそうに言われた時にはこっちのテンションの方が上がっていたと思う。そんな声はその後も何度も聞くことができた。もちろん、「ヘンなタクシーだ」と敬遠されることもあるけど、でもそれが、ぼくが最初に目指した独自性というものだし、こうしてやっと車両の準備が整っていき、ニヤニヤとした。で、ハロウィンの時はまた調子に乗ってしまって、まあ、三日間だけだったけども。

フェルトを切って障子貼りのノリで
普通に仕事をしたけど、お客さんはみんな、あまり関心を示さなかった。

タクシーという仕事

タクシーの醍醐味とは、街の一部となれるところだ。街に同化してこそ、そこにいろいろな物語が生まれるもので、それを満喫できるのがタクシー運転手の特権だとぼくは思っている。報酬はもちろん大事だし、楽しみの一部ではあるけども、それを第一義と決めつけてしまうのは少しもったいない気がするし。
だからまずは、仕事として通常をしっかりとこなすのが大切だ。特別なんてものは平坦な中にあってそう呼べるものだし、意識なんてしたら、せっかくのドラマが台無しになってしまう。だから自然に振る舞って、そうしていると、お客さんは素顔を見せてくれて、そうして通常をこなしていると、自然とその中にストーリーが生まれていて、自分も演者の一人としてかかわっているその舞台を楽しむことができるのだ。

お客さんは、時には素顔になり過ぎてしまうことも。酒に酔って、しかも眠っていて、目的地に着いて起こす時などはヒドイものだ。それ自体がたいへんな作業だというのに、料金の支払いをしてもらうという難事業もある。滅多にあることではないが定期的にあって、たいがいそんな時、お客さんの財布は中々出てこない。財布を見つけてもカードが出ない。こちらから手を伸ばすわけにもいかず、黙って見ていると、その間にまた寝てしまう。また起こす作業から始めて、また同じことを繰り返す。
お金を払いたくないという人間の深層心理からなのだろうか、いろいろなもので支払いをしようとして、歯医者の診察券や何かの会員証などで支払おうとするし、リップクリームをお金受けに乗せて「これでっ!」などという人をぼくは何人も目の当たりにした。みんな決してふざけているわけではなく大真面目だから「ダメだ」というとふてくされる。

ついこの間も、朝方の五反田の繁華街だったが、工事現場で働く人が作業服のまま飲んでいたらしく、数人でふらふらになって手をあげていた。そのうちの一人が乗って来て、川崎の某所の住所を告げられ、ナビに入れ出発すると2、3分で寝てしまった。到着し、まあ覚悟はしていたけれども、何度声を掛けてもなかなか起きてくれなかった。やっと目を開け、財布を探す。また寝てしまう。いつものようにそれを2、3度繰り返えすと、リュックをゴソゴソとかき回し、ヘルメットを取り出して「じゃあ、これでっ!」と、お金受けに被せた。もう、キレてるっぽい。少しも笑っていないから、こちらも真面目に「ヘルメットで支払いはできません」と言うと、酩酊しながらも反射的に「もうこれしかないから、これでなんとか勘弁してくれ!」と粘りまで見せる始末。と、そんなやり取りを数回こなすと突然覚醒して、普通に支払いを済ませた。
その時は必死だから少しも笑えないが、後からその様子を思いおこすと、なんと面白いことか! このお客さんはこの後、それのことを思い出して笑ったりするんだろうか。

       note

ぼくはそんなストーリーの演者として、そこにかかわりながら、観客としても眺めさせてもらう。で、面白かったら、それを誰かに伝えたくなるから、それを文章という形に残したくなって、一つの小説にする。只の素人の雑文にそんな呼び方をするなんて間違っているかもしれないが、十年前には小さな本を出版したりもした。「そのまま」を伝えようとすると事実とは違うこともたまにあるから、話を作ったりも。

で、そんなストーリーをずっと書き続けていて、次の一冊にまとめるためのものや、ブログとかSNSなどに載せたものとか、そういう小説が、もうかなりの量になってしまった。で、たまに思い出し眺め直しているけども、何か最近、少しもったいなく思えてきた。
そして、それぞれの目的とはまた別に、それらを誰でも見ることができるような一冊のノートにまとめてみようか、と思いが廻り、そうすると、それぞれの目的とはまた別の新しい楽しみが、そこにまた生まれていた。作り直したり、そのまま載せるのもいいし、新しいストーリーだってどんどん生まれて来るから、そこに居場所ができるかも、とか。

で、いざこうして、新しいノートにまとめるに至ったストーリーを書き始めてみると、少し不思議な感覚が心に灯っていた。
個人タクシー協同組合から独立したことも、車の色を変えたことも、家にぬいぐるみがたくさんあったことや、コロナでさえも、全てが、このノートを作るために、その時に起こっていたような気がして来て、何か、時間と理由が逆転したような、そんな感覚がした。
ふと手を止めて、その気持ちを説明しようと試みると消えてしまい、また書き始めると、その不思議な感覚がまた始まる。説明しようと思うと消えてしまうのだから書き表すこともできないけど、どうやら、ちょっとした目線の違いからくる心の誤作動によるものなのかも。萩原朔太郎の散文詩「猫町」がノートに展開されたような、そんな気分だった。

その説明はあきらめるけど、このノートがどんなふうになるのかが、すごく楽しみになってきた。ただ、計画通りにならないように気をつけたい。目の前に起こった現実に右往左往させられながら、流れにまかせてみよう。リアルなノートにするために。
せっかくタクシーを職業にしたのだから。せっかく街とかかわれたのだから。せっかく、たくさんのストーリーを作ってきたんだから。せっかく、これからも素顔のストーリーに出会えるのだから。
作ることは楽しい! リアルなストーリーを楽しもうと思う。今世の中は、リアルが少し足りない気がするから、尚更に。





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