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コスモポリタン

私はタクシーを生業としておりまして、自営なのですが、営業エリア内に居住することが義務付けられています。
その条件の元に国から認可を得ている個人事業なので仕方ないのですが、私の場合、東京23区・武蔵野市・三鷹市がその事業区域で、それ以外の地域へ住民票を移すことはできません。
何かの制約があるというだけでいっぺんに窮屈になってしまうものですが、「どこか違う場所に住めたらな」なんてふうに思いが向かってしまいます。別に、どこに住みたい、なんて思ってもなかったくせに。

……どうしてだろうか、などと考えていると、「どこにでも住めるとしたら、どこかに住みたいという気持ちは湧いて来ないんじゃないか」と行き着き、古代ギリシャの哲学者が頭に浮かんだ。イヌのディオゲネス。

イヌのディオゲネス

知っている人は普通に知っている、数々のエピソードを残した有名哲学者であるが、かかわりのない人には、まったく知られていない人。見てくれをまるで気にしない究極の自由人で、かのアレキサンダー大王でさえ「予が予でないのだとしたら、ディオゲネスとして生まれたい」ともらしたほどの人物。自由気ままなタクシーにとって、ディオゲネスとはとても魅力的な哲学者で、守護神と崇めてもいいくらいだ、と私は思う。

古代ギリシャというところは、同じ秩序(コスモ)を持った複数の国(ポリス)によって構成されていて、ギリシャ人たちは、それぞれどこかの国(ポリス)に所属させられていた。けどディオゲネスは、どこのポリスにも所属しない「コスモポリタン」であった。それを唱えた世界最初の人ともいわれている。(本当か嘘かは別として)坂本龍馬が土佐藩を脱藩してどこの藩士でもない「日本人」を名乗ったのは、同義なのかもしれない。

家を構えることはなく、いろいろなところで、いろいろなモノで雨風をしのぎ、アテネでは好んで大きな酒樽に寝泊まりしたといわれるが、様々な彼の奇行から疎んじられていたものの、その思想を愛されもし、寝泊まりしていた酒樽が壊されると、新しい酒樽を用意してくれる者も現れたのだそう。

ディオゲネスやその系統の人らの残した数々のエピソードは、シニカルという言葉の語源になったくらいで、そんな偉大な哲学者をタクシー運転手などになぞるなんて許されないかもしれないが、私は、似通ったものを感じる。もちろん、理想像として。

彼は、決して自由を求めてそう行動したのではなかったはずだ。結果的にそこに自由があったというだけで。
それを眺めた人が、そこに自由を見た、というだけのことだった。そう考えもできる。何処(どこ)人などと括られることもなく、好きなところで、好きなことをしてイヌのように暮らす人、ディオゲネス。

こんなエピソードがある。
あるよく晴れた日、ディオゲネスはイヌのように日向ぼっこを楽しんでいた。そこへディオゲネスの噂を耳にしたアレキサンダー大王が訪れ、目の前に立ち、「何でも褒美を渡すが、何がいいか?」と尋ねたそう。で、ディオゲネスは、「じゃあ、そこをどいてくれ。日陰になるから」と。

決してディオゲネスは、自由をアピールするためにそう振る舞ったわけではない。でも、そこに自由を見た人は魅力を感じ、そんな自由を頭に描く。シニカルを気取りたい人などは、「そんな皮肉を自分も言いたいものだ」などと考えたりも。そうしたらば、ディオゲネスではなくなってしまうのに。

何処(どこ)人でもないが何処人でもあるコスモポリタンとは、どこかに所属するということを捨てて初めて手にできるもので、それによって失ってしまった利得が作り出した賜物だといえる。
ディオゲネスのように生きたいと願うならば、ディオゲネスが被った数々の損害にこそ目を向けるべきではないかと思う。何故なら、そうしてでも手に入れたいと思うほどのモノなのだから。


「古代ギリシアがんちく図鑑」より


どこでも住めるとしたら

私は個人タクシーとして生きていく以上、東京23区、武蔵野市、三鷹市以外に住所を置いてはならない。でも、そんな窮屈な思いをしてでも、個人タクシーをする価値を感じているから現状が存在していて、そんな自分の姿に、心から満足している。

まあ確かに、どこにも行っちゃいけないってわけでもないし、住民票上だけのことで、それを窮屈だなんて言うのはちょっと大袈裟ではある。でもそう感じたおかげで、「どこでも住めるとしたら」という願望が生まれた。

真っ先にニューヨークが浮かんで、実現する方法を考えた。どんなふうに楽しむかを想像して、今度はまた日本海沿いの片田舎に暮らす自分を思ったりも。のんびりしたところへも、過酷なところにだって、自由自在。明日には、ロンドンだって、信州にだって住める。もちろん、想像によってだけど、失ったればこそのコスモポリタン!

もし、どこでも住めるとしたら、そんな感情は生まれなかった。「そこにしか住めない」という窮屈な思いが創造してくれた、楽しい想像である。


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