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屋久島の恋

エピソード0 羽田への逃避行



付き合って3年記念ということで、屋久島に旅行にすることになった。
早朝6時25分の羽田発鹿児島行き。
できるだけ長く滞在したいと欲張って早い便にしたのだ。

飛行機に乗るのは久しぶりだった。
国内線だから最低1時間前に空港に着いていればいい。
旅慣れている人はもっとギリギリでいいなんて言うかもしれないが、私はそんなところで冒険はしない。
早朝だろうがなんだろうが、出発時刻1時間前の5時25分に羽田空港に着いているつもりであった。

だが、その5時25分。
私は羽田からはるか遠いバリバリの住宅街にいた。
止まったままのタクシーの後部座席。私は仏頂面で黙りこくっている。
振り返るわけではないが私の表情を知ってか知らずか、前にいる運転手さんの背中はとても居心地が悪そうだ。
住宅街なのでもちろん渋滞ではない。
ただ人を待って停車している。

グーグルマップが私に告げる。
空港への所要時間38分。
ということは、空港に着くのは…6時3分。
つまり出発時刻の22分前。
絶対あかんやん。
そう、私は人を待っている。
その人とは記念日を一緒に祝うべき人、私の恋人である。
全然来ねえ。
彼の名誉のために本名は伏せてやろう。
仮にてっさんと呼ぶ。

てっさんが多忙中の多忙だということは知っていた。
ビジー指数100のうち110くらいならなんとかする男だ。
でもきっと今回は140くらいまでメーターが上がっていたのだろう。
ほぼ一緒に暮らしているはずの自宅に帰ってこないことからもそれは推察できた。
それでもだ。記念日に旅行に行こうと言ってくれる。
優しい。
でも実際に行けなければ意味がない。
というか色々準備した分、むしろマイナス。
とにかく飛行機に乗らないと。
って、そんなこと考えているうちに5時30分を過ぎた。
失望。絶望。
私はズブズブとドス黒いものに飲み込まれ、運転手さんが振り返ったとしてもとても笑顔を作れそうにもない。

彼はまだ来ない。

私は運転手さんに聞こえてもいいやと大きな大きなため息をついた。
だってこの空港タクシーも屋久島のレンタカーもトレッキングツアーもシュノーケリングも、登山装備の準備もかわいい犬を預けたのも、自分の仕事も、全て滞りなく進むように手配をしたんですよ!
それもこれも屋久島に行くため。
飛行機に乗れなければ全部おじゃん。
時間もお金も、何より楽しみにしていた気持ちも、全部無駄になる。
それは怒って当然だろ。

とぐるぐる考えつつも、怒っても事態は好転しないことも知っている。
怒っても飛行機は待ってくれないし、時間は止まらない。
怒鳴り声は空気を悪くするだけだ。

というわけで6時38分に現れた彼に向かって、私は怒りを露わにしなかった。
ただ、諦めた。
悲しくなり過ぎたくなかったから。
無駄になった時にぽっかり空白となった予定に向かい合えるメンタルを保つために諦めた。
諦めは、心の自衛策。

タクシーが走り出す。
どうせ間に合わないけど。

が、彼は私と違うメンタルの持ち主だった。
彼は徹夜をしていて、気づいたら寝落ちしていたそうだ。
「何分前に着けばいいんやっけ?」
「もう無理だと思うよ」
「え、そんな?」
「30分間に検査しないといけないってHPに書いてある」
私は淡々と告げた。
声を荒げることはなかった。
でも明らかに不機嫌。
そんな私に対して、どうにか間に合わせたい彼。
というか、間に合うと思っている。
二人を後部座席に乗せて運命を託されるハメになった運転手さんが一番不憫かも。
彼「できるだけ急いでください!」
私「(無言で空を見つめる)」
針のむしろのような車内で散々待たされての理不尽なオーダー。
それでも彼は言った。
運転手「……できる限りのことはします!」

かっけぇ。
確実に今のところ恋人よりずっとかっこいい。

電話をすればなんとかなるが自論のてっさんはもれなく空港に電話した。
飛行機になんとか乗りたいと掛け合うと、意外とちゃんと応対してくれた。
「出発の20分前、6時5分までに空港に着けば乗れるかもしれないです!」
「わかりました!」
私は私で空港に着いてからの手順を調べ、不機嫌ながらも一応乗れるかもしれないという可能性を捨てなかった。

6時を過ぎたころ。
車窓がこれまでと変わった。カーブの多い広い道。開けた空。
空港が近い。
「もしかして間に合う…?」
期待しなければ落ちこまない。
そんな言葉を思い出しつつも、胸は高鳴っていった。
「行き先は鹿児島ですよね」
運転手さんが聞く。
「はい」
「手前で降りた方がいいと思います。南に行くなら前、北に行くなら奥って、先輩から教わって」
「助かります!」
ナイス先輩。ナイスプロフェッショナル。

そしてターミナル1に6時3分に到着。
「支払いはカードより現金が一番早いです!」
とのアドバイスにより、一秒たりとも無駄にすることなくスムーズな降車が実現。
「お気をつけて!」
「ありがとうございます‼︎」
ああ、運転手さん、最高です。
私たち絶対に乗ってみせます!
いつの間にか私の気持ちから諦めが姿を消していた。

朝の光に包まれる空港をスーツケースを抱えて走る私たち。
えーと、どこに行けばいいんだ?
保安検査場でいいはずだけど、とりあえず空港の人に聞いて…
「こっちや!」
キョロキョロとしている私を置いて、颯爽走って行く彼。
って、どこ行く!?
「そっちなの??」
私の声など届かない距離まで離れた彼ピッピ。
と思ったらくるっと回って戻ってきた。
「違ったわ」
んんん、もうっ!!

一番近くにいたのが保安検査場のスタッフさんだった。
(やはりタクシードライバーさんのジャッジは正しかった、感謝!)
eチケットを見せ「これに乗りたいんですけど」と言うと、
「こちらに」と閉ざされたゲートを開いてくれた。
ドラマとかで見るやつだ…
どちらかというと焦ることが苦手な私は余裕を持って行動する。
私の人生にはなかったシチュエーション。
「大丈夫かな…」
「これは行けるやろ!」
そう言う彼は金属探知機になぜが2回も引っかかっていた。

なんとか保安検査場を突破。
「間に合ったな」
「まだだよ!」
彼を急かして搭乗ゲートまで再び走る私たち。
これが意外と遠かった。

ようやくついた10番搭乗ゲートではすでに搭乗手続きが始まっていた。
しかしまだ人がいる。
「間に合ったな!」
「そうだね…」
奇跡だ。
嬉しい。

分かっている。
彼だってしたくてこんな大遅刻をしたわけではない。
旅行をするために仕事を先行して、最後まで粘った末に寝落ちしてしまったのだ。
体力の限界。
千代の富士。

「何か飲む?」
大人なのだから、歩み寄りが大切。
だって我らは40を超えたカップルなのだ。
「うん」
二人とも飛行機に乗る前にすでにへとへとだった。
私は水を、彼にはスポーツドリンクを買った。
「ありがとう」
分かってるじゃん、いう彼の顔。
こういう時に何を飲みたいのか分かる。
それが3年の月日なのかな、と思いつつ、私は彼と共に飛行機に乗り込んだ。
バラバラとこぼれ落ちた期待を、楽しい気持ちを拾い直して。
「これ一生言い続けるのやめてや〜」
「うーん、どうかな〜」

笑い話になれば一生言い続けていい気がする。
一生言い続けられる二人だったら嬉しい。

でも、記憶はどんどん薄れていく。
そのことを年を重ねた私はよく知っている。
と言うわけで、noteに書いている。

一生言い続けるのと、こうやって書き残すのとどちらがタチが悪いのかは、数年後に彼に聞いてみようと思う。






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