中部地方の石造物⑨:栖雲寺宝篋印塔
名称:栖雲寺宝篋印塔
伝承など:栖雲寺開山塔
所在地:山梨県甲州市大和町 栖雲寺
甲州市の大和町にある天目山は、甲斐武田氏にとっては因縁のある場所であり、室町時代に上杉禅秀の乱で禅秀方に属して敗れた第十三当主武田信満が自刃した地であり、武田家最後の当主勝頼が織田信長に攻められて自刃した武田家滅亡の地でもある。
前者の信満は自刃の後に栖雲寺に葬られたが、ここは南北朝時代に業海本浄が開いた曹洞禅の寺院で、境内墓地には開山塔と通称される宝篋印塔ほか二基の南北朝時代の宝篋印塔がある。
現在は覆屋に納められているために撮影が困難であるが、向かって左の宝篋印塔(二枚目)が二世住持無二之元によって造立された業海の墓塔、通称「開山塔」で、観応三年銘がある。
右塔(三枚目)は、開山塔よりもやや下る文和ニ年銘を持ち、こちらは山梨県では珍しい関西形式の宝篋印塔で、普同塔(禅宗において衆僧の遺骨を埋めた上に建てる塔)である。
開山塔は山梨県内では最古の銘文を持つ宝篋印塔であり、文和ニ年塔とあわせて貴重な石塔と言える。
なお、このニ基の宝篋印塔の隣の柵で囲われた一角の中には数基の宝篋印塔があり、こちらは栖雲寺に葬られた武田信満とその夫人の墓と伝わる。
中央の二基の宝篋印塔が信満夫妻の墓で、周囲の宝篋印塔が家臣の墓とされ、石塔の形式は信満の没した時期と合致するが、各部は元々の形ではなく一度崩れたものを後代に組み直したものと見られる。
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