中部地方の石造物⑬:光善寺五輪塔・宝篋印塔群(土岐氏墓所)
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名称:光善寺五輪塔・宝篋印塔群
伝承など:土岐頼貞ほか土岐氏墓所
所在地:岐阜県瑞浪市土岐町 光善寺跡
清和源氏の流れをくむ美濃源氏の土岐一族は、鎌倉時代末期から南北朝時代の動乱に際して大きく勢力を広げ、室町幕府の中核を構成する有力守護大名の一家となり、斎藤道三に国を奪われるまで美濃の守護として君臨した。
その土岐氏繁栄の基礎を築いたのが足利尊氏の信任の厚い武将であった土岐頼貞で、瑞浪市の土岐町は頼貞の居館があった場所でもある。
土岐氏の菩提寺の光善寺は、現在は廃絶して土岐氏の墓所だけが残されているが、現在は道路によって東西の二箇所に分かれており、西方の墓所には五輪塔五基と宝篋印塔の四基(一枚目から七枚目)、東方の墓所には五輪塔十基(八枚目、九枚目)が残されており、大半が無銘であるが、いづれも鎌倉時代末期から南北朝時代にかけての造立と考えられる。
これだけまとまった数の中世石塔が集まっているのは貴重であり、土岐氏の繁栄を今に伝えるものと言える。
東方の墓所のうち、手前から数えて四番目の宝篋印塔(七枚目)は土岐頼貞の墓であり、この石塔のみは在銘塔であり頼貞の没年である暦応二年銘を刻む。
他の石塔は、他の土岐一族の墓塔と考えられるが、五輪塔の中には鎌倉時代後期まで遡るものもあり、頼貞以前の当主の墓も含まれていると思われる。
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