中国・四国地方の石造物⑧:建咲院宝篋印塔(陶興房の墓)・海印寺宝篋印塔(陶興昌の墓)
名称:建咲院宝篋印塔
伝承など:陶興房の墓
所在地:山口県周南市土井 建咲院
防長二国を拠点に中国地方に覇を唱えた大内氏の家老の陶氏は、現在の山口県周南市に居城があり、同市の建咲院は陶興房が父母の供養のために建立した寺院である。
境内には陶興房の墓である宝篋印塔があり、相輪は欠損しているが基礎に没年である天文八年銘と興房の法号である「道麒」を刻む。
興房は大内義興や義隆に仕えた文武両道の重臣で、大内義隆を自刃に追い込む陶隆房(晴賢)の父である。
宝篋印塔は興房の墓であることがはっきりわかり、また在銘塔であるため、山口県の戦国時代の宝篋印塔と基準塔となる好例である。
同じ周南市の海印寺も陶氏の菩提寺で、境内には早逝した興房の長子の興昌と、興房の次兄で陶氏の内抗によって殺された興明の墓がある。
こちらも宝篋印塔であり、向かって左側の興昌塔(下の写真二枚目)は享禄二年銘があり、相輪が欠損しているが建咲院の興房の墓に形式も似ていてやはり戦国時代の宝篋印塔の基準塔である。
右側の興明塔は塔身に明応四年銘があるが、こちらは笠と基礎は別石で塔身のみが当初のパーツであろうか。
なお、海印寺の南方にある富岡公園は陶氏の居館跡である(下の写真三枚目)。
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