東北地方の石造物⑰:半在家宝篋印塔(伝・佐原十郎義連の墓)
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名称:半在家宝篋印塔
伝承など:佐原十郎義連の墓
所在地:福島県喜多方市熱塩加納町半在家
現在は喜多方市の一部になっている熱塩加納町(旧熱塩加納村)の半在家の集落に、覆屋で囲われた石塔群がある。
中央に建つ大型の宝篋印塔は、この地に城を築いた佐原十郎義連の墓と伝承されている(周囲の小型五輪塔は家臣の墓と言う)。
佐原義連は三浦義明の十子で、元来は相模の豪族であるが、源頼朝が奥州を平定した後に会津一円を与えられとされ、中世に会津地方に勢力を張り、戦国時代には伊達氏と覇を競った蘆名(葦名)氏は義連の後裔を称している。
宝篋印塔自体は室町時代の作で、塔身には応永の年号をかろうじて読み取ることが出来る(自治体の調査では銘文を読み取れなかったのか、案内板には銘文の記載がない)。
おそらく完形であろうが、基礎の下に別の宝篋印塔の基礎があるため、元来はさらにもう一基宝篋印塔があったと思われる(笠や相輪の大きさに比して基礎が小さくバランスが悪いので、あるいは一番下の基礎の方が本来の基礎なのかも知れない)。
義連の時代よりもだいぶ時期は下るが、あるいは蘆名氏ゆかりの石塔なのかも知れない。
いづれにせよ、福島県内では数少ない中世の完形の在銘宝篋印塔である。