雑記:前田一族の大名家の居城

富山県富山市にある富山城は、中世に神保氏が築城し、織豊時代には織田信長の部将・佐々成政が居城とし、近世においては加賀前田家の支藩である富山藩の藩庁があった。

神通川の流れを城の守りとし、水に浮いたように見えるために「浮城」の異名があり、当初は加賀藩初代藩主・前田利長の隠居城として大規模な改修が加えられ、寛永年間に二代藩主利常の次子・利次が十万石を与えられて分家、富山藩が成立した。

現在の天守閣は、戦後に富山産業大博覧会が開催された際に、記念して建造された模擬天守であり、史実に基づいた再建でもなく(富山城には天守閣が建造されなかったと考えられている)、前近代の富山城とは全く関係ない建造物であるが、建造から五十年以上が建っており、国の登録有形文化財になって町のシンボル的存在となっている。

模擬天守内部は郷土資料館であり、前田利長の所要と伝わる兜(下の写真五枚目)などが展示されている。

また2007年には、明治期に豪農の引き取られていた千歳御殿(藩主の隠居所)の門が移築された(下の写真四枚目、向かって右側の石垣は新造)。

加賀前田家の分家は富山藩以外にも複数があるが、その中でも上野国に存在した七日市藩は、藩祖・前田利家の五子の前田利孝が初代藩主であり、他の加賀藩分家と異なり、徳川秀忠の小姓であった利孝が武功によって新たに領地を与えられて立藩したと言う特異な成り立ちを持つ。

藩庁は群馬県富岡市七日市にあり、現在の群馬県立富岡高等学校の敷地周辺がそれに当たる。

七日市藩は利孝以降、幕末まで前田氏の支配が続き、江戸時代を通じて上野国内に存在した唯一の外様大名となった(七日市藩以外にも、沼田藩真田家や小幡藩織田家などの外様大名がいたが、真田家は五代で断絶し、織田家は七代で出羽へ転封になっている)。

七日市藩の陣屋は、江戸時代後期の天保年間に大半が焼失したが、一部の建物は現存している。

大手門や南門は廃藩後に別の場所に移築されたが、本丸御殿(一部のみ)と中門は元の場所に現存している。

富岡高等学校の東側には中門が(下の写真一枚目)、正門を入ってすぐ左側に御殿(下の写真二枚目)があり、御殿の内部は非公開であるが、正面口までは行って見学が可能である。

また、高校の周囲には土塁も現存する。

規模は小さいものの、群馬県内では現存する唯一の御殿建築である。

なお、七日市藩歴代藩主の墓は、富岡市内の長学寺と東京都文京区の吉祥寺に分かれて現存している。


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