東北地方の石造物⑯:愛宕山片倉家廟所阿弥陀石仏(片倉家歴代墓所)
名称:愛宕山片倉家廟所阿弥陀石仏
伝承など:片倉家歴代墓所
所在地:宮城県白石市福岡蔵愛宕山 片倉家廟所
宮城県の白石は、江戸時代を通じて仙台藩伊達家の重臣である片倉家が治めており、白石城の西方の愛宕山には片倉家歴代当主の墓所がある。
片倉家の当主は代々「小十郎」を通称とし、中でも最も著名なのが伊達政宗の側近として活躍した初代当主の片倉景綱で、伊達三傑の一人に数えられる功臣である。
片倉家の当主の墓塔は阿弥陀如来の石仏と言う珍しい形式であり、石仏が建ち並ぶ様は壮観である。
一体一体が少しづつ顔が異なっており、中央にある石仏が初代景綱の墓(三枚目)で、その左隣が景綱の子で「鬼小十郎」の異名をとった二代当主の重長の墓(四枚目)である。
この景綱と重長の墓所は、元来は白石城下の傑山寺にあったが、後に三代当主の景長によって墓所が愛宕山に移され、以降その地が片倉家の廟所となった。
なお、廟所の北方には景綱の姉で伊達政宗の乳母であった片倉喜多の自然石の墓もある。
片倉景綱の最初の墓所があった傑山寺は、白石城の南方にあり、近年本堂前に景綱の銅像が建てられた。
傑山寺墓所内の移転前の景綱の墓があった場所には、墓標である一本杉が建っており、その傍らには景綱の夫人(矢内重定の娘)の墓と言う五輪塔がある(下の写真二枚目)。
この五輪塔は火輪に露盤を持つ特殊な形式であり、この形式の五輪塔の多くは東北地方の平泉周辺の初期五輪塔に多く見られるが、宮城県内では近世以降に造立された五輪塔にも複数事例が確認されており、鎌倉時代初期以来の形式が後年になっても踏襲されていたことがわかる。
なお、傑山寺には他の歴代当主夫人の墓(下の写真)もあるが、それらは当主と同様石仏であり、景綱夫人の墓だけが五輪塔である。
現在の景綱の墓は、愛宕山移転時に造立されたものと考えられ、あるいは当初の景綱の墓塔は夫人と同じ五輪塔だったのかも知れない。
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