中部地方の石造物㊼:上田原五輪塔

(石塔の画像は↓へ)
https://museum.umic.jp/bunkazai/document/dot29.html

名称:上田原五輪塔

伝承など:北条義政の墓?

所在地:長野県上田市上田原


上田市から青木村方面へ向かう国道143号線沿いの個人宅に、鎌倉時代中期の五輪塔が所在する。

地名から「上田原五輪塔」と称され(武田信玄と村上義清が戦った有名な「上田原の戦い」の古戦場は、五輪塔よりさらに北方である)、上田市の説明では鎌倉時代初期の土着の武士・上田原平三の供養塔と推定しているが、これは上田市がこの石塔の造立年代を鎌倉時代初期としているためである。

とは言え、これは流石に古く見積もり過ぎで(鎌倉時代初期だと、長野県はもとより関東や中部でも最古の五輪塔になってしまう)、鎌倉時代中期の作であろう。

地輪が低く水輪も重量感があり、全体的に安定感のある古様の五輪塔で、無銘ながら上田市内の五輪塔としては舞田の金王五輪塔(「中部地方の石造物①」参照)に次ぐ古さである。

金王五輪塔は凝灰岩製で、こちらの上田原五輪塔は安山岩製であり、材質の違いはあるが、形式は似ており、場所が近いこともあっておそらく同一の勢力が造立には関わっていると思われる。

金王五輪塔は塩田北条氏によって造立された先祖供養塔と考えられ、13世紀半ばの作とされるが、こちらはそれよりも小ぶりで、やや下る時期の(1370年~1380年頃)作と思われる。

所有者の話によると、元は全く別の場所にあったものらしいので、あるいは本来はもっと舞田に近い場所にあったのかも知れず、してみるとこの上田原五輪塔も塩田北条氏関連の石塔であろう。

石塔の年代からするに、金王五輪塔が北条義政(塩田北条氏初代)が造立した氏祖供養塔で、上田原五輪塔は義政自身の供養塔かも知れない。

なお、私は特に所有者の許可を得て五輪塔を見学の上、撮影させてもらったが、掲載の許可は取っていないため、今回は画像は掲載せず、上田市の文化財のページのリンクを提示しておくにとどめた。


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