北関東の石造物㉗:南玉五輪塔・光蓮寺宝塔
名称:①南玉五輪塔 ②光蓮寺宝塔
伝承など:なし
所在地:①群馬県佐波郡玉村町大字南玉 ②群馬県藤岡市岡之郷 光蓮寺
江戸時代には日光例幣使街道の宿場町として栄えた玉村の南玉にある墓地内に、二基の五輪塔が建っている。
ほぼ同じ形式で総高も同じ二基の五輪塔は、銘文から夫婦の墓であることがわかる。
向かって右側が夫の墓で室町時代中期の文安五年銘、左側が妻の逆修塔で文安六年銘がある。
玉村町とは烏川を挟んだ対岸に位置する藤岡市の岡之郷温井の光蓮寺の墓地にも、夫婦の石塔と思われる宝塔がある。
こちらは全く同じ法量・形式(片方の相輪は欠損しているが、元来は同じ法量であったと思われる)で、ともに室町時代前期の応永十九年銘があり、銘文内の日付も同じである。
ともに趣旨は逆修で、被供養者は片方が男性の法名で、もう片方が女性であることから、夫婦の逆修塔と考えられる。
藤岡市一帯は、室町時代には高山御厨内にあり、同地は上野守護である山内上杉氏と、鎌倉時代以来の在地領主で上杉氏と被官関係にあった高山氏らの豪族の所領が入り組んでいたが、この石塔もそうした在地領主が造立したものであろう。
また宝塔の基礎の四面には二体づつ地蔵のレリーフが刻まれており(五枚目)、造立者が六地蔵信仰を持っていたことがうかがえる。
双方とも著名な人物の墓ではないが、造立年代や目的が判明し、かつ夫婦の墓と言うことも明確にわかる貴重な事例である。