神奈川県内の石造物㉕:由比ヶ浜宝篋印塔(伝・畠山重保の墓)
名称:由比ヶ浜宝篋印塔
伝承など:畠山重保の墓
所在地:神奈川県鎌倉市由比ガ浜 鶴岡八幡宮一の鳥居脇
鎌倉の由比ヶ浜から若宮大路を北に上った所にある鶴岡八幡宮の一の鳥居の西側に、三メートルを超える大型の宝篋印塔が建っている。
この宝篋印塔は、古くから畠山重保の墓と伝承されており、江戸時代の絵図などにも登場し、重保の仮名から「六郎様」と通称されている。
畠山重保は武蔵国有力御家人・畠山重忠の長子で、重忠の反乱嫌疑に連坐して由比ヶ浜で三浦義村に討たれている。
宝篋印塔の基礎には明徳四年銘があり、また造立趣旨もはっきりしているため、重保の墓と言う伝承とは合致しない。
宝篋印塔がある場所は重保の屋敷があった場所とされ、おそらくそのことから生じた伝承であろう。
室町時代に入ると石塔は小型化していくが、この塔は鎌倉時代から南北朝時代の遺風を残す大型塔で、過渡期の作例である。
重保の墓と言う伝承はさておくにしても、室町時代初期の宝篋印塔の基準となる在銘塔として貴重である。
なお、『新編武蔵風土記稿』では重保は武蔵の金沢(横浜市金沢区)で自害したとされており、金沢区にはその伝承を反映した重保の墓と称される五輪塔があるが、そちらは一応南北朝時代の作と思われるが、当初の形をとどめておらず、地輪は近年の復元である。