中部地方の石造物①:金王五輪塔(伝・渋谷金王丸の墓)


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名称:金王五輪塔

伝承など:渋谷金王丸の墓

所在地:長野県上田市舞田


上田市の塩田平と呼ばれる地域にある凝灰岩製の大型塔で、鎌倉時代の五輪塔特有の曰く言い難い迫力と美しさがある石塔である。

特に寺院などに所在している石塔ではないが、舞田の集落に入ると案内板が出ているので、そこまでたどり着くのは難しくない。

五輪塔付近は整備されていて公園のようなスペースになっている。

この五輪塔は古くから源氏の家人の渋谷金王丸(「堀河夜討」で源義経を襲うも返り討ちにされた土佐坊昌俊の前身とされている)の墓と言う伝承があり、土佐坊が晩年にこの地に「金王庵」と言う庵を結んだとされるが、これらは五輪塔のある「金王」と言う地名から連想された後付であろう。

伝承はさておき、この塩田平付近は中世の石造物が多いが、その中でもこの五輪塔は代表的な石塔である。

水輪の重量感や地輪の低さなどの形式から、無銘ではあるものの鎌倉中期頃の造立と推定され、これは関東甲信越地方の五輪塔としては最初期の作例であり、かつ完形と言うこともあって極めて貴重な石塔である。

塩田平には古寺が多いが、いづれもこの地に所領があった塩田流北条氏(鎌倉幕府の執権職を代々務めた北条氏の一族で、北条義時の子・北条重時の五男の北条義政を祖とする)とゆかりの寺院である。

そのため、この五輪塔も造立年代から考えて塩田流北条氏関連の石塔と考えられていると言う。

私自身も、渋谷金王丸よりも北条氏の石塔と考えた方が妥当だと思う。

石塔の非供養者であるが、初代の北条義政の没年よりももう少し遡ると思われるので、義政が親しい人物の供養塔(父親の重時か?)として塩田に隠棲した後に造立したものであろうか。

ちなみに、私が最初に訪れた時には石塔は一枚目、二枚目のような状態であったが、2017年に訪れた際には三枚目・四枚目の写真のように覆屋に入れられていた。

保存のために作られたものであろうが、そのために現在では残念ながら五輪塔の全景を撮影することは出来ない(個人的には、結構隙間があいているから、あまり風雨を防ぐためには役に立たないような気がするが、あるいは盗難とかいたずらとかの防止のために作ったのだろうか)。


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