神奈川県内の石造物⑰:元箱根五輪塔(伝・曽我兄弟、虎御前の墓)
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名称:元箱根五輪塔
伝承など:曽我兄弟、虎御前の墓
所在地:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根
強羅から元箱根の芦ノ湖に向かう途中に、大型の五輪塔三基があり、鎌倉時代初期の富士の裾野の仇討ちで知られる曽我兄弟と、曽我十郎祐成(曽我兄弟の兄)の恋人・虎御前の墓と伝承されている。
向かって左側の同型の五輪塔二基はおよそ二.五メートルで曽我兄弟、右側のやや小さな五輪塔はおよそ二.三メートルで虎御前の墓とされるが、これは後世生じた俗称で実際には曽我兄弟だとは無関係である。
いづれも鎌倉時代後期の作で、同時期の関東地方の五輪塔では最大級のものであるが、このうち虎御前の墓とされる五輪塔には銘文があり、永仁三年に地蔵講中によって造立されたことが判明する。
なお、地蔵講の文字が石塔の銘文に登場するものとしては最古の事例である。