京都府内の石造物㊼:高山寺宝篋印塔
名称:高山寺宝篋印塔
伝承など:明恵遺髪塔?
所在地:京都府京都市右京区梅ヶ畑栂尾 高山寺
紅葉の名所、あるいは『鳥獣人物戯画』を所有する(ただし、原本は現在京都国立博物館寄託で、高山寺では模本が展示されている)ことで知られる栂尾の高山寺は、鎌倉時代前期に明恵が開いた寺院である。
参道から石水院を経て、その奥の金堂に向かう途中には開山の明恵廟があり(一枚目、二枚目)、廟の内部には明恵の墓と言う五輪塔が納められている。
廟に向かって左側にある石造物(三枚目)のうち、中央にある宝篋印塔(四枚目、五枚目)は二メートルを超える大型塔で、重要文化財に指定されている。
高山寺の記録にある暦仁二年に明恵の遺髪と爪をまつるために造立した塔に比定されているが、宝篋印塔と記録を直ちに結びつけることに異論もある。
とは言え、形式からするに、暦仁二年のものかどうかはともかく、この宝篋印塔が鎌倉時代中期の作であることは間違いないだろう。
異様なまでに大型の隅飾りが特徴的で、これはこの塔が最初期の宝篋印塔の例であることを如実に示すものである。
高山寺に近い為因寺の文永二年銘の宝篋印塔(「京都府内の石造物②」参照)も、これと似た様式を持ち、高山寺塔は為因寺塔に先行する現存最古の宝篋印塔と考えられている(ただし、高山寺塔の方が為因寺塔よりも洗練された様式であることから、高山寺塔の方が造立時期が下るとする意見もある)。
いづれにせよ、国内でも屈指の古石塔で、名状し難い風格に満ちた塔である。
廟に向かって右側にも宝篋印塔があり(六枚目)、こちらは相輪が欠損しており、炭飾りも破損が激しいが、やはり古様の石塔で、右側の塔を模して、それほど時期をあけずに造立された塔と考えられる(なお、1955年に公開された大映の時代劇映画「新・平家物語」の終盤に、この高山寺の明恵廟において撮影されたシーンが出てくるが、その際に映り込んでいる右側の宝篋印塔には相輪があるため、相輪が失われたのは比較的近年のことのようである)。
二基ともに数少ない鎌倉時代中期の宝篋印塔、かつ最初期の事例として極めて貴重である。
他に、廟内には鎌倉時代後期の如法経塔(四枚目の宝篋印塔の隣に映っている石塔)があり、石水院の入口にも鎌倉時代末期の元亨二年銘の笠塔婆(七枚目)がある。
なお、現在明恵廟の入口には二つの門扉があり、どちらも施錠されているわけではないが、特に廟の正面にある木造の門には閂がしっかりとかけられている。
私が訪れた際には手前の金属製の門が開いていたため、木造の門の手前まで行くことが出来、石垣越しに宝篋印塔は撮影出来た。
石水院の拝観受付で確認した所、内部への立ち入りは不可と言うことであり(申請して特別な許可を得れば入れることもあるらしいが)、現状では石垣越しにしか宝篋印塔は拝観出来ない(廟の内部から間近で宝篋印塔を撮影したような写真をインターネット上で見かけたことがあるが、施錠されていないので立ち入り自由だと思って撮影したのであろうか)。
廟の右側の宝篋印塔は門から距離があるため、肉眼ではあまりよく見えない(写真があまり鮮明ではないのはそのためである)。
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