北関東の石造物㊿:乗明院宝塔


名称:乗明院宝塔

伝承など:なし

所在地:群馬県前橋市公田町 乗明院


前橋市公田町の乗明院は、「魚遊寺」と言う珍しい寺号を持ち、境内に入るとまず江戸時代後期の大きな山門(三枚目)が目を引く。

山門を入ってすぐ、向かって左側には宝塔があるが、これは須弥壇式と呼ばれる特殊形式の宝塔である。

須弥壇式の石塔(宝塔・宝篋印塔)は、南北朝時代から室町時代を中心に、埼玉県北部から群馬県で造立された特異な形式であり、この乗明院の宝塔には南北朝時代の永和四年銘がある。

須弥壇式の石塔は宝篋印塔が多く、宝塔はごく数例しかないが、この宝塔はその中でも比較的古い時期の作例である。

元来この石塔は、利根川を挟んだ対岸の高崎市萩原町の覚動寺にあったとされ、明治期に同寺が廃寺になった際に乗明院に移されたと言う(覚動寺の遺構である不動堂は、現在は乗明院の西方にある)。

基礎にある銘文には三十三人の勧進僧と、八十八人の檀那によって造立された旨が記載されており、在地武士の結集塔であったことがわかる。

現状では塔身が欠損しているため、笠より上が大きくてやや不格好であるが(現在の基礎の上に塔身があるように見えるがこれは軸部で、本来は須弥壇を象った中台の上に円柱状の塔身があったと思われる)、完形ならば二メートルを超える大型塔であったと考えられる。

須弥壇式宝塔はこれ以降、藤岡市や渋川市の空恵寺の白井長尾氏墓所に伝播するが、それらはこの乗明院の宝塔の形式を踏襲しており、同塔は以後の須弥壇式宝塔の原型となった石塔として貴重である。


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