中国・四国地方の石造物⑫:功山寺宝篋印塔(伝・大内義長の墓)

画像2

画像2

画像3

画像4

名称:功山寺宝篋印塔

伝承など:大内義長の墓

所在地:山口県下関市長府川端 功山寺


下関市の長府は、長州藩毛利家の支藩・長府毛利家の城下町の面影を残す場所として知られ、また城下町の一角にある功山寺は、鎌倉時代後期の建築で国宝の仏殿のある寺、あるいは高杉晋作の「功山寺決起」の舞台となった寺院として著名である。

その功山寺の墓地内には、大内義長とその従者の墓と言われる宝篋印塔がある。

大内義長は九州のキリシタン大名として知られる大友宗麟の弟で、大内義隆が陶晴賢の反逆で自刃した後、晴賢によって擁立された人物であるが、厳島の戦いの後に毛利元就に攻められて功山寺で自刃している(この義長が大内家最後の当主である)。

宝篋印塔は元々功山寺の裏山で出土したもので、義長が同寺で自刃したことから義長の墓とされてきたが、石塔の形式は明らかに戦国期以前に遡るもので、特に中央の義長の墓とされる大型の宝篋印塔(写真二枚目)は、鎌倉時代末期から南北朝時代頃の作と推定される。

出土したものとは言え、おそらく義長塔は完形の宝篋印塔と思われ、山口県内では数少ない鎌倉時代の完形の宝篋印塔として貴重である。

境内には他に、長府毛利家墓所(下の写真一枚目)や高杉晋作の銅像(下の写真二枚目)がある。

画像5

画像6

#山口県 #下関市 #長府 #功山寺 #大内義長 #宝篋印塔 #鎌倉時代 #南北朝時代 #石塔 #歴史 #日本史



この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?