中部地方の石造物㊽:窪八幡神社石殿、附・東福寺舎利塔
名称:窪八幡神社石殿
伝承など:なし
所在地:山梨県山梨市北 窪八幡神社
山梨市の大井俣窪八幡神社は、平安時代初期の貞観年間に清和天皇の勅願によって、宇佐八幡宮を勧進して開かれたと伝承され、中世には甲斐の武田氏の尊崇を集めた古社である。
境内には室町時代の本殿を始め、多くの重要文化財の建造物を有するが、甲斐地方では珍しい中世の石殿も所在する。
境内北の若宮八幡神社裏にあるこの石殿は、窪八幡では「如法経塔」と称され、如法経を納めた塔とされる。
戦国時代の享禄五年(享禄五年は七月に天文と改元)銘があったとされ(ただし銘文自体は明治期の廃仏毀釈の際に削られてしまったと言う)、ほぼ完形(宝珠のみ欠損)の在銘中世石殿としては、山梨県内では唯一の事例で貴重である。
なお、石殿は墓石化した近世の事例が多く、中世のものも大半は室町時代以降に集中しており、とりわけ東日本では鎌倉時代に遡るものはほとんどない。
東日本で鎌倉時代に造立されたとされる石殿としては、福島県石川郡玉川村南須釜の東福寺のものが有名である(下の写真)。
この石殿は東福寺舎利石塔と呼ばれ、内部に舎利を納めたもので、鎌倉時代初期の元久二年銘があることから国指定史跡となっている。
ただ、この塔を実際に見た所では、その形式は鎌倉時代初期のものとは到底思われず、おそらく銘文は追刻であろう。
具体的な銘文であるから、何か拠り所となるものがあったのだろうが、ともかく石塔の年代と銘文は合致していない。
この舎利石塔は、窪八幡にある石殿と形としては似ており、如法経と舎利の違いこそあれ、造立趣旨も似通っている。
ただ、窪八幡の石殿よりもさらに東福寺舎利塔は下る時期の造立と思われ、比較的近い地域で似た事例を探すと、林泉寺の石殿に代表される江戸期の置賜地方の石殿(「東北地方の石造物⑮」参照)が最も形式的には近い。
笠の軒の形からするに、林泉寺の石殿の中では元禄年間の銘文のあるものに近いため、この舎利塔も江戸時代前期の元禄期前後の造立ではないだろうか。
同じ玉川村には治承四年銘の古い五輪塔(「東北地方の石造物⑳」参照)があるため、そこからの類推で元久二年の銘文を持つ石塔があっても妥当との判断なのかも知れないが、それにしても杜撰な判定と思わざるを得ない。
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