雑記:大船界隈
JR大船駅から徒歩20分ほどの所にある龍宝寺は、玉縄城主の北条氏の菩提寺である。
玉縄城は北条早雲(伊勢宗瑞)によって築かれた城で、後北条氏の有力支城の一つであるが豊臣秀吉の小田原攻めの際に落城した。
玉縄城主となった北条綱成は、今川氏の家臣・福島正成の子であるが、父の戦死後に北条氏に仕え、北条氏綱の娘を娶って北条姓を与えられ、有力武将として活躍した人物である。
龍宝寺の裏山には、北条綱成・氏繁・氏勝の三代の墓があるが、ずっと後代に造られたものであろう。
このうち向かって右側の自然石が綱成の墓である。
なお、現在三代の墓は本堂の傍らに移されている(私が訪れた際にはまだ裏山にある時であった)。
大船駅から北鎌倉方面にしばらく行った所にある常楽寺は、山号を粟船山と言い、この「粟船」が大船の由来になったとされる。
鎌倉時代前期に、三代執権の北条泰時が生母を供養するために建立した粟船御堂が前身で、後に泰時の法号を取って常楽寺とされた。
泰時は北条義時の長子で、御成敗式目を定めた名執権として知られる人物である。
境内の仏殿の裏には、泰時の墓もある。
泰時の墓はかなり風化した宝篋印塔で年代がわかりにくいが、宝篋印塔が関東で造立されるようになるのは鎌倉時代後期のことなので、後代になって造られた供養塔と思われる。
風化した宝篋印塔の下に、別の宝篋印塔の基壇があり、基壇からするにかつてここにはかなり大型の宝篋印塔があったと考えられ、そちらが元来の泰時供養塔だったのかも知れない。