神奈川県内の石造物⑱:元箱根宝篋印塔(伝・多田満仲の墓)

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名称:元箱根宝篋印塔

伝承など:多田満仲の墓

所在地:神奈川県足柄下郡箱根町元箱根


元箱根の曽我兄弟の墓と伝承される五輪塔から芦ノ湖方面に少し進んだ精進池の周辺には鎌倉時代の石造物が点在している。

その中心とも言うべき大型の宝篋印塔は、二.六メートルを超える総高を誇り、多田満仲の墓と俗称されるが、もとより曽我兄弟同様後付であって多田満仲とは関わりはない。

宝篋印塔は相輪が欠損しているがほぼ完全な形で現存し、基礎には永仁四年銘があり、またその四年後の正安二年に忍性が開眼供養の導師を務めたと言う銘文も入っている。

この石塔は忍性が東国に伴った大和石工の大蔵安氏の作で、大和石工の手による関東最初の宝篋印塔であり、また最初の関東型式の宝篋印塔である。

東国の石造物を語る上で欠かせない、大きな意義を持った石塔と言える。


宝篋印塔の南方には、六道地蔵と呼ばれる三メートルに及ぶ大型の地蔵石仏がある。

こちらにも正安二年銘がある。

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この精進池は六道に見立てられ、結縁衆によって多くの石仏が岩肌に刻まれた。

宝篋印塔の北方にある二十五菩薩と通称される磨崖石仏は、東西両面からなり、地蔵・阿弥陀などの仏像が刻まれており、永仁元年と四年の銘文がある。

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他にも観応元年の銘文があり、「八百比丘尼の墓」と俗称される宝篋印塔の基礎と基壇(下の写真一枚目)や、「応長地蔵」と通称される応長元年銘の地蔵磨崖石仏(下の写真二番目)もあり、いづれも当時の信仰がうかがえる貴重な石造物である。

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